後藤 秀孝
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JAPAN
【わたしを 呼べ】
2012-10-26 Fri 20:59
本当の神と結びつくために<必要なステップ>があります。それは

①主にある「自分」の本当の姿に関心・興味を持つこと、
②聖書を読み神の仰ることを心に浸透させていくこと、
③自己内省し祈ること、です。

しかしステップ③から、本当の意味で創造主である神を信じ、
その存在を日々の生活の中で近しく感じ、
病むとき苦しむときに癒しと慰めを得られる

ようになるまでには、

大きなギャップが存在します。

つまり
「アタマで知っていて宗教論争はできても、信仰に歩むことなどできない批評家」から、
「主の道に従い、神の愛の教えを生きる信仰者」への飛躍には、

どうしても避けられない段階があるのです。



それがタイトルにある【神の名を呼ぶ】という行為です。
他人事、宗教史、学問の対象として知っていた「神」という存在が、
実在の、奇跡と不思議をもってあなたを、私を救い出し、赦し、揺るがぬ歩みに導いて下さる方へ変わっていくために。

私たちは呼ばなければなりません。神の名を。


後藤の場合。そして推測するに、多くの男性諸君の場合…。
神の名を呼ばざるを得なくなるのは、

「にっちもさっちも行かなくなった」底つき体験の最中であるような気がします。

頼りにしてきた価値観、例えば仕事や肩書きや学歴や能力や、家族や友人関係や健康や経済や、車や犬やプライドや自信などが奪われるとき。
これまでの人生が突如として混沌を成し、無力感に喘ぎながらただ立ちすくむとき、大いなる悲しみに身を浸すとき…。

「なぜ俺ばかりが?…」

そんな時初めて、男は見栄や外面を捨てて神の前に自らを曝け出せるのでしょう。時に怒りと理不尽と弁明と釈明を求める自己義とを持って、半分怒りながら「オイ神さま、居るんなら俺の言うことを聞け!」と声を上げたその時に。

創造主である神は、あなたの横に立たれるのです。そしてあなたの肩に手を置いて、あなたの訴えを唯ただ、静かに聴かれるのです。

神に向けて全てを吐き出した後、すっきりとした涙がこぼれ落ちたなら。
あなたは確かに、神の臨在、ちょっと後ろに立たれて共に悲しまれた神の存在に、気付いた筈です。


求道者から、信仰の徒へ。
その過程にある、乗り越えねばならないハードル。

人生があなたを突付きまくる中、「もうヤダ」「もうダメだ…」と思うようなことがあったとしたら。

その時が、あなたの人生を根底から変えてくれる基点となるかもしれません。

その時の不幸さえ、主にあって感謝に変わる素晴らしい人生の幕開けかも知れないのです。


違いはただ、人間にある失望を選ぶのか、

私たちの創造主にある希望を選択するのか。それだけなのです。
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