(小比木 啓吾氏 著「モラトリアム人間の心理構造」より参照)
「モラトリアム人間?何だそれ?」
「次から次へと仕事とか、人間関係とかを取り替えて、
目的もなくさまよってる系の人のこと?」
人生の転機を迎え、いろいろな人に会う機会を設けながら。
自分もそんな「モラトリアム人間(以下、M人と表記。
マゾ人ではない)だろうな」と思っていた矢先、ある方から
「あなたは自分の人生に、例えば
貧困問題なら『貧困問題!!』、
死生学なら『死生学!!!!』
と、ドカン!と杭を打ち込んでみなさい。」
とご指摘頂いた。
「人生に軸がない。」そのことを見事に言い当てられ、当惑を装いながらも
「…そんなことは重々承知ですよ…」と状況をナナメに客体視している自分もいた。
それから数日後。立ち寄った書店で偶然 小比木先生の上梓された「M人の心理構造」を発見、そのタイトルと目次見だけで「買った」。どこか自分の性質というか、
好奇心旺盛 <反面>
飽きっぽい、行動力大 <反面>
手抜き性、その後藤の根源に横たわるものに迫れるかも、と期待したからである。
それがこの長い記事へとつながったわけ。
読者の皆さま、
Ladies & Gentlemen, and others、
どうか忍耐を持って、少々お付き合い頂きたい。
1. Defining 「モラトリアム」と「M人」
「モラトリアム」と言われてスパッとその意味が出てくる人ー。挙手!
多分
1000人中6人くらいしかいるまい。
そしてその6人は、やはり「自分もM人ではないか…」と自問自答したことがある人に違いない。
そんな定義し難い、曖昧なカタカナ言語の意味を小比木先生はこう表現されている。
「M人の、もっとも基本的な特質は、
国家・社会・歴史の流れといった、自己を超えて存在する
『より大きなもの』への帰属意識の希薄さ、である。
そもそも
モラトリアムとは、そのような『より大きな、自己を超えた何か』に対する同一化によって獲得される
アイデンティティを確立するまでの準備・猶予の時期という意味であるが、
M人とは、いつまでも、
この準備・猶予の状態に居つづけ、アイデンティティを確立しない人々のことである。」(9pg)
つまりモラトリアムとは
「自己(自分とは誰か)確定までの準備・猶予期間」のことであり、
M人とは
「いつまで経ってもそのアイデンティティを確定出来ない/しない人々」のこと、
良く捉えれば「自分を狭義で限定してしまわずに、新しい可能性に向けて開いている人間」、
悪く言えば「自分が社会の中で“誰”なのか明確でなく、未だに
“俺が本気を出しさえすれば…”と思い込んでいる中年」である、と私は理解した。
次にそのM人の特徴、社会の鏡に映し出される姿を探ってみよう。
2. 「M人」の Characteristics
「M人」的特質↓
①帰属意識の低さ:自分を超越した大きな流れ(歴史・国家・組織・政治…)への帰属意識が薄い。
→どんな組織に対しても積極的な同一化は避ける。
→その分、深刻に騙されない、搾取されない。
→「俺だけは絶対バカを見ない」「騙されてたまるもんですか」と最初から懐疑心旺盛である。
→熱くならず、クールに「非・当事者」「お客さん社員/部員/教会員…」であろうと努める。
この特質①の
弊害として:
●人生の目的意識(Vision)が薄弱である。
旺盛な向上心&情報の氾濫のため、何でも「分かった気/できるつもりになっちゃう。」
→かりそめの万能感は迷いを生む。
価値観の多様化による、一貫したアイデンティティ確立が出来ない。自分らしい生き方発見の困難。
●自己否定的。
自分で自分を裁いてしまう/自己肯定感が薄い。
「良くなりたい(理想)」<反面>「でもなれない…(現実)」の狭間で、強迫的不足感のみが醸成される。
→「自分とは誰か」「何をするために生きているのか」という問いが解消されぬままだから。
→いつまでも「お客さま社員」でいたかったのに、突如昇進して責任発生。クライシスに見舞われる。
●「相手/他人本位」「常識的に考えて…」で、「自分不在」になる。
積極的に何でも取り込むが、表面的なコピペのみに終始しがち。
かつ、コピペしすぎて自分の意見がない。
習慣的に、自分で考える前にコピペ対象を探してしまう…。
が挙げられる。
②自己中心志向:強い自己向上への意欲。→「最終形態」を限定しないでひたすら切磋琢磨、常に新たな自己実現を目指し活動する。
「自分」は「自分のため」にしか使わない。外面は「従順」、内面で「抵抗」。→「長い物に巻かれてたまるか」<反面>「既存社会以上の世界は創造できない無力感」が同居する。
他人(特に同世代)に厳しく、自分に甘い。→だが「他人を傷つけ・押しやってまで成功してやろう」とも思わない。
この特性②の
弊害はというと、
●
自分の快楽、
自分の趣味、
自分の家族、
自分の老後、…で手一杯。
●貰えるものは貰っておけ。お前のものは俺のもの。結果、分け与える・共有するのが下手。
●社会や集団に対して、「私は良い影響を与え得る」という当事者としての自信が希薄。
●諦観。「俺一人が何やっても無駄じゃん?」「(情報過多で)先の展開が何となく読めてしまって」行動しない。
●「建前で生きる」ようになり、その分内面が抑圧されてくる。
③近接未来型思考:長期的展望の欠如/近視眼的人生設計。→人生計画には必要最小限度の「就職」「結婚」「子育て」を取り込む程度。
なぜこうなった?考えられる理由:
→1992~経済環境激変。具体的な展望を持ち辛い時代に。
→終身雇用制が廃され、雇用関係に不確実性が高まる。中高年の減量化(リストラ/雇用調整)が活発化。
→職業によるアイデンティティ確立も困難な時代に。上司とヒラ社員間の階層の削減。
→「10年後、この会社で働いている?」「この会社存続してる?」という根源的な不安。
現役サラリーマンの意識に変化。それを見る学生・子供たちの意識にも変化。
政治・経済・社会全体に相当強い不信感を持つようになった。
弊害:
●短期見通ししか持てないゆえに、
長期にわたる事業設計や、影響力の大きな人生目標を描き辛い。
④高い“時代”順応力:変化を予測し適応する能力、変化耐性に長ける。
→いつでも「変容」できる。(社会がそれを受け入れるか否かは別として…)
弊害:
●注意散漫になる。選択と集中しながら成果を上げることが苦手。
●「時代が悪い」「市場が冷えている」からしない、「需要がある」「金回りがいい」からする、といった目先の利益追求志向になっちゃう。
→外的要因で自分の夢を諦め続ければ、能力がある分自分を持て余すようになる。
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上記特質を統合していくと。結局俺自身=M人系が行き着くのは
「器用貧乏」。
「夢はある」が、計画も実現意欲もない。
「俺が本気を出せばな…」と言い続けて老後。
みたいなシナリオであることに気がついた。
これじゃ遺憾。いかん。
何しろこれが
「ワクワクする・超楽しい人生」とは思えねぇんだな…。
ならばどうしたらいいのか。
次回へ続く。
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