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後藤 秀孝
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JAPAN
【モラトリアム人間について】
2012-09-16 Sun 20:53
(小比木 啓吾氏 著「モラトリアム人間の心理構造」より参照)

「モラトリアム人間?何だそれ?」
「次から次へと仕事とか、人間関係とかを取り替えて、
 目的もなくさまよってる系の人のこと?」

人生の転機を迎え、いろいろな人に会う機会を設けながら。
自分もそんな「モラトリアム人間(以下、M人と表記。マゾ人ではない)だろうな」と思っていた矢先、ある方から

「あなたは自分の人生に、例えば

貧困問題なら『貧困問題!!』、
死生学なら『死生学!!!!』

と、ドカン!と杭を打ち込んでみなさい。」

とご指摘頂いた。
「人生に軸がない。」そのことを見事に言い当てられ、当惑を装いながらも

「…そんなことは重々承知ですよ…」と状況をナナメに客体視している自分もいた。


それから数日後。立ち寄った書店で偶然 小比木先生の上梓された「M人の心理構造」を発見、そのタイトルと目次見だけで「買った」。どこか自分の性質というか、

好奇心旺盛 <反面> 飽きっぽい、
行動力大 <反面> 手抜き性、

その後藤の根源に横たわるものに迫れるかも、と期待したからである。

それがこの長い記事へとつながったわけ。

読者の皆さま、
Ladies & Gentlemen, and others、
どうか忍耐を持って、少々お付き合い頂きたい。



1. Defining 「モラトリアム」と「M人」

「モラトリアム」と言われてスパッとその意味が出てくる人ー。挙手!


多分1000人中6人くらいしかいるまい。
そしてその6人は、やはり「自分もM人ではないか…」と自問自答したことがある人に違いない。

そんな定義し難い、曖昧なカタカナ言語の意味を小比木先生はこう表現されている。

「M人の、もっとも基本的な特質は、

国家・社会・歴史の流れといった、自己を超えて存在する『より大きなもの』への帰属意識の希薄さ、

である。

そもそもモラトリアムとは、そのような『より大きな、自己を超えた何か』に対する同一化によって獲得されるアイデンティティを確立するまでの準備・猶予の時期という意味であるが、

M人とは、いつまでも、この準備・猶予の状態に居つづけ、アイデンティティを確立しない人々のことである。」(9pg)

つまりモラトリアムとは
「自己(自分とは誰か)確定までの準備・猶予期間」のことであり、

M人とは
「いつまで経ってもそのアイデンティティを確定出来ない/しない人々」のこと、

良く捉えれば「自分を狭義で限定してしまわずに、新しい可能性に向けて開いている人間」、
悪く言えば「自分が社会の中で“誰”なのか明確でなく、未だに“俺が本気を出しさえすれば…”と思い込んでいる中年」である、と私は理解した。

次にそのM人の特徴、社会の鏡に映し出される姿を探ってみよう。


2. 「M人」の Characteristics

「M人」的特質↓

①帰属意識の低さ:
自分を超越した大きな流れ(歴史・国家・組織・政治…)への帰属意識が薄い。

→どんな組織に対しても積極的な同一化は避ける。
→その分、深刻に騙されない、搾取されない。
→「俺だけは絶対バカを見ない」「騙されてたまるもんですか」と最初から懐疑心旺盛である。
→熱くならず、クールに「非・当事者」「お客さん社員/部員/教会員…」であろうと努める。

この特質①の弊害として:

●人生の目的意識(Vision)が薄弱である。
旺盛な向上心&情報の氾濫のため、何でも「分かった気/できるつもりになっちゃう。」
→かりそめの万能感は迷いを生む。
価値観の多様化による、一貫したアイデンティティ確立が出来ない。自分らしい生き方発見の困難。

●自己否定的。
自分で自分を裁いてしまう/自己肯定感が薄い。
「良くなりたい(理想)」<反面>「でもなれない…(現実)」の狭間で、強迫的不足感のみが醸成される。
→「自分とは誰か」「何をするために生きているのか」という問いが解消されぬままだから。
→いつまでも「お客さま社員」でいたかったのに、突如昇進して責任発生。クライシスに見舞われる。

●「相手/他人本位」「常識的に考えて…」で、「自分不在」になる。
積極的に何でも取り込むが、表面的なコピペのみに終始しがち。
かつ、コピペしすぎて自分の意見がない。
習慣的に、自分で考える前にコピペ対象を探してしまう…。

が挙げられる。

②自己中心志向:
強い自己向上への意欲。
→「最終形態」を限定しないでひたすら切磋琢磨、常に新たな自己実現を目指し活動する。

「自分」は「自分のため」にしか使わない。

外面は「従順」、内面で「抵抗」。
→「長い物に巻かれてたまるか」<反面>「既存社会以上の世界は創造できない無力感」が同居する。

他人(特に同世代)に厳しく、自分に甘い。
→だが「他人を傷つけ・押しやってまで成功してやろう」とも思わない。

この特性②の弊害はというと、

自分の快楽、自分の趣味、自分の家族、自分の老後、…で手一杯。
●貰えるものは貰っておけ。お前のものは俺のもの。結果、分け与える・共有するのが下手。
●社会や集団に対して、「私は良い影響を与え得る」という当事者としての自信が希薄。
●諦観。「俺一人が何やっても無駄じゃん?」「(情報過多で)先の展開が何となく読めてしまって」行動しない。
●「建前で生きる」ようになり、その分内面が抑圧されてくる。


③近接未来型思考:

長期的展望の欠如/近視眼的人生設計。
→人生計画には必要最小限度の「就職」「結婚」「子育て」を取り込む程度。

なぜこうなった?考えられる理由:

→1992~経済環境激変。具体的な展望を持ち辛い時代に。
→終身雇用制が廃され、雇用関係に不確実性が高まる。中高年の減量化(リストラ/雇用調整)が活発化。
→職業によるアイデンティティ確立も困難な時代に。上司とヒラ社員間の階層の削減。
→「10年後、この会社で働いている?」「この会社存続してる?」という根源的な不安。
現役サラリーマンの意識に変化。それを見る学生・子供たちの意識にも変化。
政治・経済・社会全体に相当強い不信感を持つようになった。

弊害
●短期見通ししか持てないゆえに、
長期にわたる事業設計や、影響力の大きな人生目標を描き辛い。


④高い“時代”順応力:

変化を予測し適応する能力、変化耐性に長ける。

→いつでも「変容」できる。(社会がそれを受け入れるか否かは別として…)

弊害:

●注意散漫になる。選択と集中しながら成果を上げることが苦手。
●「時代が悪い」「市場が冷えている」からしない、「需要がある」「金回りがいい」からする、といった目先の利益追求志向になっちゃう。
→外的要因で自分の夢を諦め続ければ、能力がある分自分を持て余すようになる。

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上記特質を統合していくと。結局俺自身=M人系が行き着くのは

「器用貧乏」。
「夢はある」が、計画も実現意欲もない。
「俺が本気を出せばな…」と言い続けて老後。

みたいなシナリオであることに気がついた。

これじゃ遺憾。いかん。
何しろこれが「ワクワクする・超楽しい人生」とは思えねぇんだな…。

ならばどうしたらいいのか。


次回へ続く。
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