2006-11-15 Wed 20:12
一体何の話?と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、主イエスキリストの従者として目覚めたわたしたち一人一人が、なるべきものです。ちょっと解説しましょうか… 現代人なら誰でも、「車輪」の有用性は理解しています。JRも、トヨタも、オートリクシャーも、ANAも、車輪の恩恵にあずかっています。もし「車輪」がなくて、未だにピラミッド建築のように、コロを使って重量物の移送をしなければならないとしたら、建築業界に勤める人は奴隷(とその頭)ぐらいかも。つまり、「車輪」とは「一度使用した人が、それに依存して離れられなくなるもの」の比喩と考えてください。 このフレーズに、もう一つ重要な言葉が含まれています。「セールスマン」という部分です。どんなに優秀なコンセプト/商品も、それが適切なチャンネルを通じて潜在顧客に紹介され、使用して得られる効用、メリットが正しく伝えられなければ、誰も買いたいとは思わないでしょう。つまりどんなアイデアも、市場で売られなければエンドユーザーに届かないのです。 ここまで言えば、もう分かりましたね。標題の「車輪のセールスマン」とは、つまり伝道の仕事のことです。 キリストに従って歩む決心をしたわたしたちが、主の教えについて正しい知識を身につけ、必要な時に、誰に対しても魅力的なプレゼンが打てるように、準備をしておくと言うことです。 自分から教会へ足を踏み入れる方は、既にクリスチャンであるか、何か目的意識に動かされて来られている方たちですね。そんな人たちと一緒だからこそ、賛美の時も一体感があるし、社交するのも楽しい。しかし、キリストはこう言っていますね。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです(マルコ2:17)』と。 つまり、キリスト教とは全く関係のない場所で、迷って、悩んで、傷つき苦しんでいる人たちに、主イエスの福音を伝えよう、と言うのが本来の姿であるべきだと思います。聖書に『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)』ともあるように。 ある意味「壁に囲まれた」「居心地の良い」教会の中で、既に救われている人たちと「楽しい楽しい」で終わってしまっては、本来のわたしたちの業務を遂行しているとは、言えなくなってしまうのではないでしょうか。 だからこそ、ドブ板まわりの泥臭い営業のように、「車輪」を売り歩かなければならないのです。 営業時、わたしたちが常に心に留めておかなければならないことは、 1.「私は既に悟っている」という高所から、話しをしないこと。 まず、私たちも同じような悩みや苦しみを抱えた人間として、話すことが重要です。その困難の中、神さまと出会ったことでどんな変化があったのか、それを自分自身の経験から話せば、伝わりやすいでしょう。 また、とにかくシンプルに、分かり易く話すことです。何も覚えていない「大学の講義」より、記憶に残る一行。優秀な営業マンとしては、それを目指すべきです。 2.押し付けないこと。 布教に熱心な方は、ついつい熱くなりすぎて相手ドン引き、と言うこともあるかも。思い出してください、主イエスのやり方は、「ドアを優しくノックする」でしたよね。勝手にドアを開けて土足で踏み込み、大声でわめき散らすことではありません。 3.「違い」にこだわりすぎて、宗教戦争に発展しないこと 「私の神さまはすげえ。」とばかり訴えてしまうと、「いや私の神様のほうがもっとイカス。」という反応がでるかも。「神は人を創った。人は宗教を作った」と言う言葉もありますが、人間的な線引きで神さまを型にはめるなんて、できないはずです。普遍なのは、私たちは誰でも自分の儚さを認識して、「神さまにすがりたい」「心に平安を得たい」と願う弱い存在である、と言うことです。こうした「はい、はいと同意」できる点からスタートすることが、優秀な営業なのでは。 (自分自身、伝道への導きを受けている中、考えるのはこんなことでした。既に様々なご経験から、布教の難しさや教訓、喜びを理解されている方がいらっしゃいましたら、是非一言、コメントよろしくお願いします。) |
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