後藤 秀孝
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JAPAN
【汚ねーモノを見て 汚ねーと思う】
2012-05-14 Mon 07:15
こんな奴を見た。



下心アリアリ、「俺、頑張ってます!」
「俺って凄い?」とアピールするためだけの奮闘。ゆえに、

「上司/彼女の前だから、頑張っちゃおう」
「今日は誰もいねーから、テキトーにやろう」

という明確な、子どもっぽい態度の違い。

その癖
「俺は(少なくとも見た目)頑張っているんだから、お前もやれ」
と他者に対しては非情な尻叩き魔と化す。


そんな
汚ねーモノ、
醜いモノ、
軽蔑すべきモノ。


それらを見て、

汚ねー。
醜い。
クソだ。
と思う。


でもそれって、正常じゃねーか?

今のご時世、KYとか、和を以って尊しとか、White lies とか言いながら、実は

「汚ねーモノを汚い!」
って言えなくなっちまってるんじゃないのかい?

「クソはクソだ!」と皆思っていても、
そう言えずにいるのが本当は、一番おかしいんじゃねーのかい?



確かに、俺たち皆平等に「汚い」。
クリスチャンとして最初に噛み締めさせられるのはそこだ。

「俺って何て醜くて、
カッコ悪い存在なんだ」。

だからこれまで言えなかったんだよ。
他者批判めいたことは。自分の目の梁に気付いているからさ。

また、諌言なんて相手がどう受け取るか分からんし、言うこっちも気分いいことじゃねぇし。

俺の内面は、確かにこうも語るよ。
「それができないのは、彼/彼女も弱い人間だから。しょうがないよ。たかが人間だもの」



でも、汚いものを見て汚い、って認識できる、その基準をしっかり持つことは大事なんだと思う。

実際にそれを口に出して、相手と喧嘩するかどうかは置いておいて。

醜いものは醜い。
情けないものは情けない。
カッコ悪いものは、カッコ悪い。

そう区分けできるだけの価値観をしっかり持たないと、
いつしか自分もその泥濘の中に飲まれていく のが人間だから。

いつしか「美しいもの」と「きったねぇモノ」の区別すら つかなくなっちまうのが人間だからだ。


聖書にはある。
その醜美の区別と同時に、そこから抜け出る方策さえも。

だから 「聖書、読もうぜ!」 と言いたいんだ。

そこには「人間」のことが書かれており、
そこには「あなた」のこともしっかり書かれているからだ。
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