後藤 秀孝
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JAPAN
【木 の 実】
2012-05-09 Wed 23:04
聖書にこんなくだりがあります。イエスさんが山の上で弟子たちに語ったことばの一部です。

『…あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い気は悪い実を結びます。
良い木が悪い実を実らせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。』マタイ7:15~20

この聖句はもちろん、当時のにせ預言者(宗教的権威者であるサドカイ人やパリサイ人)たちに向けて語られていた言葉です。しかしある日、主はこんな捉え方も私に示されたのです。



それは、私の持つ「習慣」について。

私の中に広がる森、
「良い習慣」と「悪い習慣」の木々について、です。


もし私の中にある森の木々が、「良い実」をつける「良い木」ばかりなら。

つまり
「自分を伸ばし」「鍛錬して」
「Iコリント13:4」
「麗しい成果や人のためになる働きを生み出す」

そんな良い習慣がしっかりと身についているなら。

私の森は豊かな実りを提供する果樹園のようになり、私のそばにいる人々は憩い、安らぐのでしょう。


反面、もし私の内にある森の木々が、「悪い実」をつける「悪い木」ばかりだったとしたら。

「漫画、ゲーム、ポルノなどの下らない時間潰し」
「掃除・洗濯しない」木。そして、その根の部分にある怠惰。

「締め切り直前にならないと始めない」
「遅刻ぎりぎりまで寝ている」木。その根である先延ばし癖。

「自分棚上げ」
「他者批判」に走る木。その根底にある、ええカッコしいの見栄っ張り、外面ばかりの虚栄心。

「責任回避」の木。
その根に存在する、勇気の、自信のなさ。

「(たかが人間だから、完璧にできない)言い訳先行主義」の木。
その根っこにある、(自分も含めた)人間への諦観、絶望。

「富さえあればより良い生活が買える」と思い込もうとする木。
この世の欲望と恐怖が 深く根付いている我が身…。

そんな木々が森を形成するのならば、そこは淀んだ水溜りと妖霧、危険な動植物ばかりの暗闇の森になるでしょう。


私の心の奥深く。
暗黙知(= 全生涯記憶 オートセーブ機能)内に この森はあります。

私たちは、知っていて・また知らずして、日々の生活の中で記憶と、それに結わえ付けられた感情を上書き保存し続けています。

忘れたと思っても深層で覚えている。この地上に生れ落ちた瞬間から、セーブされ始める全ての5感記憶…。
そんな記憶の渦、情動の積み重ねが、私たちの持つ「習慣の森」です。

そして、
私たちの言動や、
物事の受け止め方、
問題対処への姿勢などは、

全てこの「習慣の森」に影響を受けます。


私も残念ながら、暗黒の森を抱える一人です。
ちなみに、上記「悪い実をつける悪い木」は、全て後藤の森の木でした。

クリスチャンだからこそ。その暗闇を認めざるを得ずに苦しむのです。

しかも、その「悪習慣の木」から得られる「快楽」の実は麻薬のような味…。
私は知っています。その味を。その歪んだ喜びを…。
頭では分かっていても、弱い私は時に、引き摺られて食べに行ってしまいます。

悪習慣の落とし穴を回避できず、その束縛を破れず。
それどころか、なおも深く深く 嵌ってしまっている。


本当に、人間にはムリです。
これら全て、私の/あなたの「悪習慣」債務を帳消しにするような、そんな素晴らしい業、奇跡…。

それは、やはり情動をも管理される全能者に頼るしかないのです。主なる神に。

どうか、私たちの愚かさをあなたの知恵で覆いたまえ。
導いてください。主よ。
この習慣の森の中でなす術もなく佇む私たちを、御名によって、どうかあなたの義の道に伴ってください。
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