4月7日のトポスキリスト教会礼拝と、その後について。
翌日8日(日)のイースター(イエスさんの復活祭)を控えて。
上野公園に集まる 現&元 路上生活者 他の兄弟姉妹を対象に、トポス礼拝&炊き出しが執り行われました。
普段と違うのは、トポスの牧師夫妻、また教会員の皆さんが丹精込めた「イースターエッグ」もお届けできたことです。
一つひとつのゆで卵に、赤い十字架と共に「神は愛なり」のメッセージが。一個や二個ならまだしも、三百個です。しかもヒビ/割れてしまった卵や、誤字のある卵は却下で…。皆さんお疲れ様でした。
後藤も久々に休みを貰い、早朝の炊き出し準備からイースター礼拝まで参加できたのですが、幸運はそれだけではありません。実はそれまで、4週続けて悪天候に見舞われ、お弁当を配布するに止められていた土曜日が、ついに晴れたのです。風はともあれ好天です。自然と賛美にも熱が入ります。
次に比留間牧師から復活祭のメッセージが語られました。
路上に堕ちても、年をとっても、病気・怪我に悩まされても、
「主にあって私たちも復活できる」と言う旨のみことばを、
心ある方たちはしっかりと受け取っていました。
礼拝が終わり、荷物の積み込みも終わった頃。奉仕者へのお土産として、先述のイースター卵(1パック10個)を頂きました。
全部一人で食うのも好いのですが、マヨネーズでね。そうだ、これらを炊き出しに来れなかったおっちゃん・おばちゃんにあげに行こう。そう思い一人、花見客で大賑わいの上野公園を歩き始めました。
…
……
………
なかなか居ません。
普段なら居そうな場所を探しているのですが、数万の花見客に追われて姿を消していました。
(途中、若年ホームレスの方で、花見客に混じりながら毛布をかぶって寝ていた方、またゴミ箱を物色されていた方にはお会いしました。自己紹介後、卵はいらんかねと聞くと、警戒されてしまったのか断られました…。)
ならば、上野駅周辺まで範囲を広げて、主に導かれるままに歩いてみました。
するとまず、上野公園前の絵描き階段の隅で、背中の曲がったおばあちゃんが一人、身体を小さくして佇んでいました。
「こんにちは。トポスキリスト教会の者です。今日はイースターのお祭りの日なので、ゆで卵を作ってみました。一ついかがですか…?」
そう尋ねると、「ありがとうございます」と返事が。白髪で日に焼け、しわだらけの、良い笑顔で受け取って頂きました。
その後も続けて、
花見客の歩みの中に異彩を放つ白ひげの方。
ストリートファッション(路上風貌)で身を固めた方。
傘にビニール袋を提げたおっちゃん。
駅のガード下で壁に寄りかかっているおじさん。
高架上で汚れた作業着に身を包み、当てもなく眼下の車通りを眺める方。
などに、イースターのお祝いを共有して行きました。
渡すたびに、<例外なく>険しかった表情が和らぎました。
たとえ断られても、「…ありがとう」という確かな返事が返ってきました…。
どんな境遇にあろうと、どんな風貌に成り下がろうと、
やっぱり「大切な一人のひと」だなぁ…。そう感じました。
思えば、イエスさんも…。
こうして、時代と社会の暗い狭間に落ち込んで、
見捨てられ、置き去りにされた一人ひとりを、探して歩かれていたなぁ…。
わざわざ骨折って出かけて行って、
傷を癒し、こころを慰め、救いを伝えていたよなぁ…。
イエスさん。
はっきり言います。あなたの足跡がなければ、
私は今、この道を歩んではいません。
見ず知らずの人、しかも見るからに尋常でない過去を背負っている方に、
笑顔と少しの明るさでもって、そしてそれ以上の愚かさでもって、語りかけていく。
そんなことは、しちゃいません。
主よ。
誰が何と言おうと。
そんなあなたは。まことに、
愛なる神のひとり子です。
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