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後藤 秀孝
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JAPAN
実在した神のひとり子――イエスキリスト
2006-11-05 Sun 18:23
西暦33年、四月三日(金)午後三時頃、ナザレ人と呼ばれる若いユダヤ人教師がローマ人によって処刑されました。彼はエルサレムの城外で十字架につけられ、彼の屍は裕福なユダヤ人指導者の墓所に納められたのです。
そして、処刑が執り行われた週の日曜日から40日間にわたって、彼は少なくとも12回、生身の身体で500人以上の人々に目撃されました。
そして、彼の死後2,000近く経つ今日、彼の支持者は世界中に、数え切れないほどいます。
彼の名は、イエスキリストです。
彼なしにはキリスト教は存在せず、彼なしには赦しも、平安も、希望もありません。彼なしにはわたしたちが神さまとの関係を修復することが、またその愛に戻ることができないからです。

主イエスが実在の人物だったということは、(特に新約)聖書の中に描かれていることですが、あくまでもクリスチャンの視点・立場から書かれたものなので、「本当かな?」と思うこともあるかも知れません。ですから今日は、中立的な歴史家や、キリスト教を弾圧していた当時の皇帝などの記述から、主イエスの像を探ってみたいと思います。

ローマ人歴史家のタキトゥスは、ネロ皇帝の時代にあったローマの大火の犯人として、クリスチャンが批判され逮捕、処刑された事に触れています。その記述の中には、クリスチャンが当時「スキャンダラスな集団」としてローマ人社会からも敵視されていたことが明確に示されています。また、その「首謀者クリストゥス」が皇帝タイベリゥスの時代に、ピラトによって極限の苦しみを受け処刑されたこと、ジュデア(諸悪の根源と定義されています)のみならずここローマにも、その「不品行で危険な思想」が入り込んで、増殖していることに大きな危機感を感じていることも。

また、ジョセフス著の“Testimonium Flavianum”の中には、「イエスという賢人が、いや彼が人と呼べればの話だが、生存中に様々な奇跡を起こしたこと…彼こそ救世主であった。ピラトが彼を十字架刑に処した際も、彼を愛した無数の人々は、その愛情を諦めるどころか、より強く持ち続けたのである。
処刑3日後に彼は復活し、人々の前に再び姿を現した。そしてクリスチャンたちは今日も存続し続けている」(内容意訳)

その他、紀元後50~700年にバビロニアで編纂されたユダヤ教の書物で、「タルムード」という物が残っていました。当時、キリスト教徒に対するユダヤ人の反感はすさまじい物でしたが、それが彼らの記載にも出てきています。
「過ぎ越し祭の晩に、イエスは処刑された。処刑の40日ほど前、エルサレムからの使者が『魔術を使ってイスラエルを混乱させているこのイエスは、石打ちの刑に処せられるらしい』と言っていた」そうです。

つまりこれらの文書から、キリストの処刑が実際に行われたこと、そしてイスラエルのみならずイタリア国内にも、キリスト教が入り込んでいたこと、その急速な成長に世の批評家たちは何か奇怪な、異常さを感じていたことが明らかになります。また、イエスが賢い人間であり、彼の復活について、またキリスト教社会の持続的な活動についても記述があるのです。そして、魔術…?盲が見え、足なえが歩き、死者が生き返ることを魔術と呼んだかもしれませんね。つまり裏を返せば、実際に奇跡が行われていたと言うことです。

これら(の批判)を統合すると、主イエスキリストが実在の人物だったことがお分かり頂けたと思います。
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