古い映画ですが、ウーピー・ゴールドバーグ主演「Sister Act2(天使にラブソングを 2)」の中で、こんなせりふが耳に残りました。
「イギリスの超有名な小説家/推理作家、W・ウィルキー・コリンズに会った若者が、自分の書いた原稿を見せながらウィルキーに質問します。
「どうすれば作家になれるのでしょうか。」
聞かれた老人劇作家はぶしつけに、こう答えます。
「どうすれば作家になれるか、なんて俺に聞くな。
ある朝目覚めて、
書くこと、
ただ書くことしか考えられなくなっていたら、
あんたはもう作家なんだ。」
上記。
何の道でも同じだ。そう思わされました。
朝起きたとき。
食事を取りながら。
電車の中で。
職場で、給湯室で、喫煙所で。
顧客先に向うとき。利用者の相手をするときに。
休憩時間に。
帰宅するその道中で。
晩酌しながら。
シャワーを浴びながら。
布団の中で。
歌でも、詩でも、絵画でも。
人間について、哲学について、精神についてでも。
神さまでも、信仰でも、宣教活動でも…。
常に考えていること。
一時も離さずに抱きしめていること。
それを見極め、更に高め豊かにしていくことができれば。
確かに、ある美しい朝に目覚めたとき。
あなたはその道の専門家として、
あなたはその業界の大家として、
確かにその足跡を残すのでしょう。
資格も、学位も、
教会からの招きも、
Popeからの召命さえも。
あなたをキリストの弟子とはしない。
キリストの弟子となる、ということは、
目覚めの内に、あなたのなかにキリストその人が住まわれ、
主の豊かな臨在を内包すること。
主について生き、
主の見るものを見、
主の感じるものを感じること。
主のことばを語り、
主の癒やしの業を行ない、
主の慈しみと愛に溢れている状態のことだ。
あなたの内から、見よ、生ける水の川が溢れ出すことを指して言うのだ。
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