後藤 秀孝
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「囚われる」ということ
2006-11-13 Mon 20:18
こだわりを持った人がいます。物事への適度なこだわりは、その人の個性に面白みを与えてくれ、「そんな見方もあるのね」と感心することもあるのですが、今日お話ししたいのは「こうじゃなきゃヤダ」「こうでなければ認めない」というような排他的、依怙地(いこじ)なこだわりです。

パキスタンで、ある女性と食事に行った時のこと。イスラマバード市内のイタリアンで、パスタを注文した彼女が出てきた料理に対して愚痴るわけです。「柔らかすぎる」「甘いソースってどうなってるの」などなどと、食事中ずっと文句のオンパレードで、食べているこちらまで食欲を失ってしまう感じでした。

確かに自分でも調理でき、その味には自信満々の女性だったので、色々こだわりが出てくるのは仕方が無いと思います。しかしせっかくの食事を台無しにするほど(しかも私の分まで!)、こてんぱんに言わなくてもいいんでないの?というのが正直な感想ですよね…。(幸いなことに、その後彼女とは二度と外食しませんでした。Praise the Lord!)

何が問題なのでしょう…。感謝の気持ちが足りない?そうですね。自分の知識を見せびらかしたい?そうなのかも知れません。それ以上に、「嫌悪」「不満」「怒り」といった負の感情に、囚われてしまったのかと思います。

負のサイクルに一度入ってしまうと、分かっているけど抜け出せない…そんなことって、誰にもあると思うんです。この例にもあるように、悪いことにばかり目が向いて、お店の雰囲気だとか、サービスだとか、楽しい会話だとかは二の次になってしまう。
彼女との喧嘩で言い過ぎたんだけど、歯止めがかからずそのままエキサイトすることとか、妻と冷戦状態のまま、何も話さずに1ヶ月貫き通してしまうとか…。巨船タイタニックのように、舵を切ってもスクリューを逆回転させても、止まらず曲がらずで氷山に突っ込み座礁…なんてこと、誰でも少なからず経験していませんか?

パウロが「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。(IIコリント6:12)」と言うとおり、わたしたちは実は、自分自身でその身を縛りつけ、身動きできなくしてしまっている、ということに気付かねばなりません。

そんな時正気に戻って、本当に何が大切なのかを考える一息の余裕があれば、直ぐにでも方向転換できるのです。しかしエゴが前面に出て、視点を切り替えて良い点を認めたり、非を詫びたりすることが難しくなってしまいます。そのエゴの牢獄から抜け出す鍵を、主イエスは与えてくれます。

お帰り
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