台東区・荒川区にまたがるエリア。かつて日雇い労働者の町であった「山谷」地域でのこと。
立ち飲みの焼き鳥屋や飲み屋が並ぶエリアがあり―――そこは後藤が密かに 「Sports Bar」 と呼んでいる場所なわけですが―――、毎日競馬・競輪・競艇などを中スクリーンのテレビで観ながら、おっちゃんたちがたむろしています。
そこを自転車で通りすがったときのこと。ある話し声に耳が留まりました。
何やら飲んだくれた男女が話しています。その内、去ろうとする男性を追いかけるようにして、女性の声が放たれます。
「エッチしないからって、私のこと置いてけぼりにするの?」
自転車で行きすぎた後。
振り向きもしませんし、その男女の顔を見てやろうと戻りもしませんでしたが。
なんとなくその場のやり取りから、その崩れた人間関係、特に女性の身持ちの悪さも、判然としてしまったのです。
そうです。路上生活では恐らく、人間の快楽も もっとダイレクトに表現され。
欲望の対価に売り買いされる対象である、ということです。
そのことを実感するに至って、後藤は寒気がしました。
尊厳ある人間が、素晴らしい宝を内包する人間が。
欲望の赴くままに、自分の愉悦の望むままに落ち込んでいけば、
もしくはそうせざるを得ない状況に追い込まれ、順応していく内に、このようになるのか…。
彼らを、
特にその身を持ち崩した女性を、
心中ひどく蔑んでいたことを認めざるを得ませんでした。
【でも 主よ あなたは】
そんな場面で思い起こされるのは。
常に主イエス・キリストの眼差しと行ないです。
マグダラの町を歩いていた主。マグダラというのは約2,000年前のイエスさん時代、ガリラヤ地方の4大都市の一つとして知られ、製造業・水産業の盛んな土地であったとされます。
そして同時に、遊興と放埓の町、娼婦の町でもあったと。…
そこには酒と肴と、最新のエンターテイメントと、散財とあぶく銭と、
そして密かな男女の交わり、姦淫とがあったようです。
そのマグダラの町に住む、マリアの出自に関する記述は非常に少なくて、
…七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、(ルカ8:2)
というような表記が見つかるばかりです。
主が触れられた前後の彼女の状態、そして宣教道中の献身を見て、あくまでも想像するのみですが。
両親不在、家族不在の独身者。縁を切られたか、それとも喪ったか。
既婚暦は不明、子どもの有無も不明。
顧みる者がなく、身体一つのために、
数少ない女性の同行者として主の群れに仕え、主の群れに最後まで従った。
妙齢の女性が、
家族なく、身体一つで生きていくために。
また奴隷でもなく、自由人として己一人で食べていくために。
どんなことをしなければならなかったのか。
諸説ありますが、戒律厳しいユダヤ人社会で、女性が独り働いて生きていくために。
しかも娼婦の町をわざわざ選んで、そこで生活していた彼女を見るときに。
やはりお酒と遊興と肉体関係と。…
そんな自堕落な、そして
その自堕落を自ら憎むような、酒でその痛みを紛らわせて、
白昼夢のような生活を続けざるを得ないような、
自己存在の矛盾、
相反する心の持って行き場の無さの中で
生きていたのではないでしょうか。
そんなこころが分裂した生活だからこそ。
彼女が「七つの悪霊」に憑かれていたというのは、納得がいくのです。
彼女と初めて会ったとき。
主は、いったいどんな表情で、どんな眼差しで、彼女を見たのでしょうか。
その時から、彼女の一生が180度変革される、
というか同じ盤上での180度回転どころではなく、はるかに高いレベルに昇華させられるとは。
それはおそらく。彼女の中にある悲しみと孤独、同時にその悔い改めを知っていた主が。
悲哀の共感と深い慰めをもって彼女と会い、
マリアの名を呼んで、
彼女だけに捧げられた、
その大いなる神の愛を伝えたからでしょうか。
彼女を見つけたとき、そこにあったのは。
迷い出た一頭の羊を、
この大切な真珠を、やっと発見した。
そんな主の喜びであったのでしょう。
山谷の街角で、人間の罪の性質により、人生を迷い歩く人々を見るとき。
どうか主よ。私にもあなたと同じ眼差しで。
あなたと同じ理解と共感、慰めのこころを持って。
向き合えるように育て、導いてください。
私の信仰を強めてください。主よ。
「…ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまづきになるものを置かないように決心しなさい。
主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。
キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。」(ローマ14:13~15)
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