後藤 秀孝
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JAPAN
恐怖について<I>
2006-11-02 Thu 21:19
私たちの見方次第では、この世界は不安と恐怖に溢れた場所です。テロや殺人が横行し、核兵器を持つ覇権国家も複数出てきました。戦争ではクレイモア地雷やクラスター爆弾など、無差別大量殺戮兵器が使用されています。飢餓や旱魃で死にゆく人々も溢れ、HIVと言った病気が生きたまま人を腐らせ、いのちを奪っていく…。
日本国内ですら、隣人や身近な人たちの心情が理解できず、いつ騙されたり、傷つけられたり、襲われたりするか分からない。
さらに身近なところでは、明日は学校の試験で、悪い成績を納めようものなら親から何を言われるか…。会社の会議で発表しなければならないのに、準備もままならず、失敗したら上司や同僚の前で大恥をかく…。それでなくても睡眠不足で、胃が痛くて、何か病気かも知れんのに…。

上記のようなこと、不安、心労、心配、たくさんありますね…。わたしもここスリランカでは、政府要人を狙ったテロ攻撃の危険や、蚊が媒体するデング熱といった不安の種があります。そして、小心者の私にとっては、組織内の週間報告の場ですら、緊張して書類が蛍光マーカーだらけになってしまいますし、「発表会」や「出演」と名の付くものは人生でできるだけ避けて通りたいイベントです。
人によっては、「とにかく経験を積んで、慣れよ」と言うかもしれません。「勇気を持って飛び込め」と。それは真実です。そして同時に、我々の不安や恐怖がどこから来ているのかを理解することも、わたしは有益と思います。
神さまをよりよく知るためには、その敵をも知る必要があるでしょうから。

ここで仮定ですが、私たちの怖れは、大まかに言って二つの源から来ているのではないでしょうか。一つは、「死」から。そしてもう一つは、「恥」から。それぞれに解説し、その後JCイエスキリストの教えが、いかにわたしたちを恐怖から解放してくれるかを一緒に探索しましょう。

1. 死の恐怖;「死は誰にでも微笑みかける。彼にできるのは微笑み返すだけだ」という言葉もあるとおり、肉体を持つわたしたちが避けられないのが「死」です。聖書の中でモーセが死を目の前にして、後継者であるヨシュアにこう言っていますね。『見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている(ヨシュア記23:14)。』そう、生きとし生けるもの全てが一度は経験するイベントで、不可避です。

正直、怖いです。主イエスでさえ一度は『アバ。父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯(死)をわたしから取りのけてください(マルコ14:36)。』とこぼしていますね。弱い人間であるわたしたちにはなおさらです。死を、その恐怖を超越することなど、普通では到底できないのでしょう。
それを認めた上で、こうも考えられないでしょうか。死はわたしたちの一部であり、この世の真理の一部です。われわれの肉体は単純に有限であるということ。そして、わたしたちが知る以上に、死は常に、すぐそこにあるということ。限りなく遠いようでいて、手を伸ばそうものなら、簡単に手が届くのが、死です。
その深淵を覗き込み、その目を直視すると、私たちは怖れ、凍り付いてしまいます。彼(死)は恐怖、不安、迷いなどで、我々を喰らい尽くすでしょう。ぬぐい切れない「If」の恐怖で。
その「If」の恐怖を打破するために、主イエスは明快な答えを与えてくれています。『…あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか(ルカ12:25~26)。』まったく、その通りですね…。自分の無力さに、肩から力が抜けてしまいます。

そして、死後我々は一体どうなるのか?わたしは一度も死んだことがないので、分かりません。彼岸の向こう側に、天国も、地獄もあるかも知れんけど、見たことありません。でもきっと、どっちに転がり込むにしろ、その過程でJCイエスキリストに会えることは楽しみに思っています。
なぜなら彼は、わたしが生存中に行なったことを全て理解していて、その上で正当な裁きを下すことで知られているからです。伝道者パウロもこう言っています。『私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です(ピリピ1:21~22)。』
こうした人生の先達たちが、ありのまま死を迎え入れた姿勢を見ると、わたしも死に対して、変な憧れも偏見も持たずにすみ、時が来たらただ「微笑み返す」のでしょう。

ですから、死の不安や恐怖に対して、わたしたちができることは、肉体の有限性を意識するがゆえに、今ある生命に感謝して生きることではないでしょうか。困苦にあってもそれに感謝できる姿勢こそが、この世でわたしたちの得ることのできる、究極の救いだと信じています。そしてそれを手に入れた瞬間から、実は天国は始まっているのです。

死に関する章句;

詩篇90:9~10
私たちは自分の齢を一息のように終わらせます。
私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは
労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。
(中略)
それゆえ、私たちに
自分の日を正しく数えることを教えてください。
そうして私たちに
知恵の心を得させてください。

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恐れるな、わたしが共にあるからだ
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