利用者さんの部屋を掃除していたときのこと。その部屋の元住民は認知症にて尿失禁を繰り返しており、お部屋の床だけでなく、カーテンや壁のクロスも臭うような気がします。ドアにはセロテープの残りがこびりつき、はがれにくく、ひたすらアルコール散布しながらこするしかない。そんな状態。
この部屋に新しい入居者が来るというので、清掃に入りました。
ひたすら尿臭と戦いながら、アルコール散布を続けます。ドアのテープも年季が入っているのではがれないのですが、こすり続けます。そんな作業をしながら考えさせられたこと。
それは、私たちの行う奉仕の「スタンダード」についてです。
それは、「赤の他人のための」スタンダードでしょうか。最初、私がしていたのはそれでした。
ま、見た目・目立った汚れがなければ良しとする。
そこから、主に促されるままに、「これが自分の部屋だったらどうするのか」という、「自分のスタンダード」に格上げされてゆきました。自分の部屋だったら、…臭いを何とかしようとするわな。
しかし、さらに考えさせられたのは、その上のスタンダードのことです。
つまり、母テレサの述べた「ジーザス・スタンダード」ですね。
この部屋に主を迎えるとしたら、俺は一体どうしたらいいんだ。と言うことです。
高すぎる理想。なのかも知れません。
しかし、
主のためだったらこうしたい、ああしたい、という喜びもある。
それがJC・スタンダード。
おかげでお部屋は、アルコール殺菌5度、壁紙も含めてファブリーズ塗布、消臭力(大)設置&ドアもきれいに。
そんな状況まで改善しました。
新しく入った方、ラッキーだったね。主に感謝ですな。
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