後藤 秀孝
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JAPAN
【マザーテレサからの便り】V
2011-09-21 Wed 20:51
【偉大なこと Vs. 偉大な愛】
「大切なことは、たくさんのことを成し遂げることでも、何もかもすることでもありません。

大切なことは、いつでも何に対しても
喜んでする気持ちがあるかどうか
なのです。

貧しい人々に奉仕している時、私たちは神に仕えているのだと確信しているのです。」




「神が私に望んでいらっしゃるのは、事業を成功させることではなく、主の御旨に忠実に生きることなのです。
神と相対して生きている時、大切なのは結果ではなく、忠実さなのです。」

「神は私たちが小さいことに大きな愛を込めて行なうようにと創られました。この私たちが心に抱き、また抱くべき愛は、まず家庭において始められなければなりません。それは家族、または通りの向かい側や家の両隣の人々への愛から始まり、やがて全ての人へと及んでいくものなのです。」

【偉大なる愛は 決意・実行】
「数年前のことですが、カルカッタに砂糖不足が起きたことがあります。ある日のこと、四歳位の男の子が両親と一緒に私のところへ来ました。砂糖を入れた小さな容器を携えて。
その容器を私に渡しながら男の子が言いました。“僕は三日間お砂糖を食べるのを我慢したんだ。だから、これがそのお砂糖。マザーのところにいる子どもたちにあげてね。”

この小さな男の子は深い愛を持っていたのです。そしてその愛を、このような自分の我慢で表しました。その子は本当に三歳か四歳の子だったのです。私の名前もまともにいえないような幼い子でした。私を知っていたわけでもなく、私もそれまでに会ったことのない子でした。でもこの子は、大人から私のことを聞いたときに、自分の砂糖を我慢する決心をしたのでした。」

【イエスは 分かち合ってくれる】
「NYにいた時、私たちの施設にいる一人のHIV患者が、私を呼び止めました。彼のベッドの傍らに行くと彼はこう言いました。
“あなたは私の友だちだから打ち明けるのですが、頭痛がしてたまらない時、私は茨の冠を被せられた時のイエスの苦しみを思うのです。痛みが背中に移動した時には、兵士たちが鞭打った時のイエスの痛み、そして私の手に痛みが走る時には、十字架に釘付けられた時のイエスの痛みを思うことにしています。”」

【その他】

「沈黙はたくさんのことを教えてくれます。
キリストと語らうことも、私たちの兄弟姉妹なる人々と喜びをもって語り合うことも。」

「犠牲の精神なくして、祈りの生活なくして、苦行を喜んで受け入れる態度なくして、私たちの奉仕は決してできません。」

「1976年のこと。メキシコ大統領の招きに応じて、私たちはメキシコ市郊外に初めての修道院を開きました。シスターたちが訪れた師の周辺での人々は極めて貧しい生活を送っていました。しかしながら、その人々がシスターたちに一体何を願ったと思いますか?驚いたことに、それは衣類でも、医療行為でも、食事ですらなく、“シスターたち、どうぞ、私たちに神さまについて語って下さい”という願いだったのです。」

「もしも私たちが謙遜ならば、誉められようと、けなされようと、私たちは気にしません。
もし誰かが非難しても、がっかりする事はありません。反対に誰かが誉めてくれたとしても、それで自分が偉くなったように思うこともありません。」

「神は赦しを惜しまない御父です。
神の憐れみは、私たちの罪よりも大きいのです。
神は私たちの罪を赦して下さいます―――でも、私たちは罪を繰り返さぬよう努力しましょう。」
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