後藤 秀孝
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JAPAN
【マザーテレサからの便り】III
2011-09-19 Mon 20:42
【貧しい人は】

「貧しい人の一人ひとりは、キリストその人です。」

<『わたしの最も小さな兄弟姉妹にしてくれたことは、わたしにしてくれたことである。』(マタイ25:40)
と聖書にあるように。>




「貧しい人々は偉大です。
貧しい人々は素晴らしい人々です。
貧しい人々は非常に寛大な心をもっています。
彼らは、私たちが与える以上のものを、私たちに与えてくれるのです。」

「ある夜のこと、一人の男性が訪ねて来て、“八人の子持ちのヒンズー教徒の家族が、このところ何も食べていません。食べる物がないのです。”と告げてくれました。
そこで私は、一食に十分なお米を持ってその家に行きました。そこには、目だけが飛び出している子どもたちの飢えた顔があり、その顔が全てを物語っていました。

母親は私からお米を受け取ると、それを半分に分けて、家から出て行きました。しばらくして戻ってきたので、“どこへ行っていたのですか。何をしていたのですか”と尋ねました。
“彼らもお腹をすかしているのです”という答えが返ってきました。“彼ら”というのは、隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことで、そこにも同じく八人の子どもがおり、やはり食べるものがなかったのでした。

この母親はそのことを知っていて、僅かの米の一部を他人と分け合う愛と勇気を発揮したのでした。自分の家族が置かれている状況にも関わらず、私が持っていった僅かの米を隣人と分け合うことの喜びの方を選び取ったのでした。」

「貧しい人々の内にイエスを見、その人たちを愛し、その人たちに仕えること。
そして、そのための方法や手段はいつも神の御手に委ねるということ。」マザーテレサの行なってきた“奥義”です。

「貧しい人々が最も求めているのは、哀れみやお情けではなく愛なのです。
彼らは自分たちの人間としての尊厳に敬意を払って欲しいのです。そして彼らが有している尊厳は、他の人のそれと全く同じ質と量の尊厳なのです。」


【その 貧しい姿に身を窶した方は】
「イエスは私たちに会いにいらっしゃいます。イエスを歓迎するために、私たちのほうから進んでお出迎えに行きましょう。
イエスは私たちのもとに飢えた人の姿、裸の姿、路上の物乞いの姿でおいでになります。
誰からも構われない淋しい父親、母親、男女の姿でいらっしゃるかも知れません。
もしも私たちが、その人たちを見殺しにするなら、手を差し伸べないのなら、それはイエスその方を見殺しにしたことになるのです。」

「The Poorest of the Poor(最貧者)は、私たちにとってキリストご自身、人間の苦しみを負ったキリストに他なりません。」
「病人や貧しい人々のお世話をする時、私たちはキリストの苦しんでいる身体のお世話をしているのです。」

「キリストのところに、憂いや思い煩い、悲しい顔、暗い顔で行くわけにはいきません。」
=だから、被支援者のところに向かうときも、主の前に出る時の尊敬、感謝と愛を携えて行こうではありませんか。

「私は、この世で役立たずのように見えた人々が、
その最も大切な瞬間、死を迎えるときに、
愛されたと感じながらこの世を去ることができるためなら、
何でもしたいと思っているのです。」

「私にとってイエスは、
私を生かすいのち、
私を通して輝く光、
御父への道、
私が人々に示したい愛、
人々と分かち合いたい喜び、
私の周囲に蒔きたい平和なのです。


イエスは、私の全てです。」
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