後藤 秀孝
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JAPAN
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【マザーテレサからの便り】
2011-09-17 Sat 20:28
「マザーテレサ 愛と祈りのことば」(PHP研究所 1997.2.6出版)より、急ぎ書き取ったマザーテレサからの伝言。

普段は言葉少ないマザーテレサ。
彼女がその生き方で示そうとした
「神への信頼」と
「キリスト・イエスへの愛」が、
本人の言葉で綴られています。

飾り気のない言葉。確かに流暢ではないかも知れず、今日日のカリスマン牧師らが誇るようなウィット溢れる軽快な語りでもないかも知れません。
でも、主にある真理を語る彼女の言葉は、聴く者の心に障壁を設けることをせず。
批評家 後藤をして、素直に耳を傾けさせられた、言葉の結晶でした。




それらの言葉は、「イエスの言葉を額面通りに受け取った数少ない人の一人」である母テレサの人柄を映し、
「山上の垂訓を、日々の生活の中で現実に生きた人」として、我々クリスチャンの歩みに方向性を与えてくれます。

これから何夜か、彼女の言葉のエッセンスに触れる機会とさせて頂きたく思います。


【聖なるひと】
「聖なる人となることは、何か特別なことをして得られるのではありません。イエスが私たちに送り給う一つひとつのことを、ほほえみをもって受け容れることによって得られるものなのです。その一つひとつを、神の御旨として受け入れ、その御旨に従って生きる時に得られるのものなのです。」

「イエスの従者となることは、少数者の特権ではありません。それはあなたと私、つまり皆にとって義務なのです。」

「私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群集としての人々ではなく、個々の魂なのです。」

「私たちは人々と出会うために、自分から出かけていかねばなりません。遠くに住む人にも、近くにいる人にも、物質的に悩む人々のところにも、精神的貧しさを味わっている人々のところにも。」


<上記の解釈>
『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』(ローマ 10:15)という聖書の言葉を思い起こします。

そしてその「伝える」という行為を言葉のみでなく、

まずは主の告げた通りに、

空腹な方に食べるものを与え、渇いた時飲ませ、
裸の方に着せ、旅人に宿を貸し、
病人を見舞い、牢にいる方を訪ねて…

そんな行ないを通して、母テレサは主の光を届けられました。
主にある信仰にたって、こうした支援を実行できる方が、母の言いたかった【聖なる人】なのでしょう。
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