後藤 秀孝
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【そのときの 表情】
2011-09-14 Wed 23:41
ルカの福音書に、キリストの12弟子の一人、ペテロが「自分の命を救うために、主を否定する」という場面があります。ペテロと言えば、初代カトリック教会教皇になった、あのペテロであります。そのくだりを少し見てみましょう。

彼らはイエスを捕え、引いて行って、大祭司の家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行った。
彼らは中庭の真中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした。
すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。




「この人も、イエスといっしょにいました。」
ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません。」と言った。

しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ。」と言った。
しかし、ペテロは、「いや、違います。」と言った。

それから一時間ほどたつと、また別の男が「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。
しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。
それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。

主が振り向いてペテロを見つめられた。

ペテロは「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。
彼は、外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:54~62)

【さてここで質問です】

上記は、ペテロが従前に「主よ。あなたのためなら命も捨てます。」と強気発言をした夜、起きたことです。
「私も共に死にます。」他の弟子たちの前で、ペテロはそう大見栄を切ったのです。

しかし、現実にキリストが時の権力者たちに連れ去られ、
敵地深く侵入した自分の命にも危険が迫っていることを知ったペテロは、

主を否定するのです。
上記のように、怖れながら、逃げながら、憤りながら、主を否定したのです。

そんなペテロを、主は『振り向いて見つめられた』とあります。


...

一体どんな表情で、ご自分を裏切った最愛の弟子を、見つめられたのでしょうか。

①「この裏切り者め」という、恨みの視線でしょうか。

②「それ見たことか(やはりお前は否定した)」という、蔑みの視線でしょうか。

③「お前には幻滅した」という、失望の視線でしょうか。

それとも、何かそれ以外の感情をもって、ペテロを見つめたのでしょうか。


それは、その視線を受けた後の、ペテロの反応から窺うことができます。

ペテロは、その夕刻にイエス・キリストが語った言葉を思い出して、そして独り出て行き、激しく泣いたとあります。

もし主の視線が:

怒れる①であったら。神の子から恨まれたら、それは怖いよ。ペテロは「震え上がった」等の反応が出るべきでしょう。

侮蔑の②であったら。漁民の反骨心から、「あんたは俺をそんな目で見るけどよ」「本当に神の子なら、今すぐ天の軍勢を送ってもらえよ...」と言い返すか、にらみ返すような気がします。

幻滅の③であったら。「どうせ俺は弱虫の見栄っ張りですよ...」「あなたにこれだけ付いていっても、結局何の成長もできませんでした」「スンマセンね...」と卑屈になったかもしれません。


その時の主イエス・キリストが、どんな表情であったら。

直情型で時にテンパりがちの漁師が、

ハッと我に返り、主のことばを反芻するようになるのでしょうか...。


答えは皆さまの想像に委ねます。




でもたぶんその表情には、

相手を責めるような、
蔑むような闇は無かったのだと、

後藤には思わされたのです。
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