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後藤 秀孝
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JAPAN
【あなたは 神を 信じますか】
2011-09-07 Wed 09:11
*今日的満足クリスチャンが読むと後味悪いかもシリーズII。

日本人の信仰を考える時、これは後藤の原体験/信仰を考えてみても、あまり大きく外れていないと思うのですが、

ブッキョー、シントーと言うよりは、

お天とさんは見ているぜ、の「太陽信仰」

とか

アボリジニ系の方たちも持っている「生きとし生けるもの全て信仰」
(=アニミズムと呼ばれる)

の方が、しっくり来る気がいたします。




早朝、太陽に向かって一礼する。感謝の念と併せ、来るべき嵐や障害からの護りを祈願する。
動植物、昆虫に対しても、「お前と俺とは、五分の魂。」と尊ぶ。

祖先崇拝も、多分その延長であって。
生きとし生きてたもの、特に爺ちゃん婆ちゃん、ありがとな。一人でも欠けたら、俺は居なかった。…

そんな「目で見えて」、「耳で聞こえて」、その「存在が確かである」もの。
実際に日々恩恵を受けているが、自分の影響の輪を超越した存在であるもの。

彼らをあがめ、崇拝してきた。私もです。


それは良いことだと思います。
大いに結構だと思っています。

だって人間、
目で見えるもの、
耳で聞けるもの、
手で触れられるものしか、

基本信じませんから。

その方が、
自分自身を神としたり、
銀行預金残高を神としたり、
世の権力や名声を神としたり、
人間の手によるモノを崇めてしまうよりも、遥かに良いのではないでしょうか。


【自然崇拝を よく突き詰めてみると】
その信仰のベースがあれば、そこから一歩飛躍して、

太陽や雨や実りの大地、全ての動植物、人の縁…と言った被造物の全てに組み込まれた、何らかの

『偉大なる計画』
『大きな絵(Bigger Picture)』
『全てを司る意思』

に想いを馳せること。

「偶然の一致」と呼ぶにはあまりにも精密で、完璧に運行されていて、そして美しい、この世界を感じること。

そしてその背後にいる、全ての創造主、全ての管理者であり、愛なる指揮者の存在を感じることも、

できているからです。

それを神と呼ぶか否かは別として…。

そうです。感じることは、感謝することは、日々できるのです。
ですが、『万物創造の神』への飛躍は、やはり自分ひとりでは難しい。

聖書もこう言っています。
『そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。』(ローマ10:17)

やっぱり聞いてみないと、
関心が少しでも湧いたときに、誰かから伝えられる機会を得られないと。
そして聞いたことに対して、自分で納得しないと、信じられません。

『しかし、③宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
②聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。
①信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。』ローマ10:14~の逆バージョン

と聖書にもあるとおりです。


そして、これは伝える側に対しての訓戒なのですが、
その伝え方を、古典的な:

「キリスト教が正・聖であって、他はみんな間違っている。」
「日本人のすることなすこと、偶像礼拝。」
「ミステリアスな信仰の世界へようこそ。」

ではなく、

「私たちは同じ人間として、運命とか縁とか 自分の力及ばない、何らかの大いなる意思・計画の中で生きている。」
「私たちは直感的に、同じモノに目を向け、同じモノに対して畏敬の念を感じている。」
「それを神と呼ぶか否かはあるが、実は同じことを違う言い方で表現しているだけだ。」

つまり、

「ワタシ≠アナタ」、ましてや
「ワタシ>アナタ」ではなく、

「ワタシも、アナタも」同じ、弱い者、小さい者、運命の前に翻弄される者だ。
「ワタシタチ」、みんな神の家族だ。

そんな土台からお互いを見つめ、話すことが必要なのではないでしょうか。
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