後藤 秀孝
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JAPAN
【奇跡、ありました】
2011-09-03 Sat 09:33
8月26日、オリーブの里から帰った次の日の朝。まどろむ後藤にビジョンが与えられました。

(ビジョン、というと何やらオカルトチックで疑わしい。
そうお考えの方には、後藤の空想・追憶と言ったほうがいいかもしれません。
表現はあまりお気になさらずに)


それは、「ユダヤ人最高の知恵」の作者である、前島誠氏のイスラエル旅行の様子から。
エルサレムの町の、市場の喧騒、人々の熱気、そして大声で交わされる議論―――です。

ユダヤ人の主張/気性の激しさについて、前島氏はこう書いています。




“俗に「ユダヤ人が二人寄ると、三つの意見が生まれ、四つの政党ができる。しかも、そのいずれもが正しい」とさえ言われる。彼らの会話を聞いていると、「オレはお前とは意見が違うんだ」というセリフがポンポン出てくる。同じ意見なら言う必要がない、という姿勢も徹底している。また、今にもつかみかからんばかりに怒鳴りあう顔と顔が、話にけりがついたとたん、さっともとのなごやかな表情に戻る。もしかすると、これが遊牧民の伝統と言えるのかもしれない。

エルサレムの町では、毎金曜日の早朝に羊市が開かれる。旧市街を囲む城壁の北東の角の空き地が、その会場となる。羊の群れを連れたベドウィン族の男たちが、その時刻になると、どこからともなく集まってくる。
二十年前のある夏の朝、この場所でものすごいけんかに出くわしたことがあった。
売り手と買い手の言い争いである。仔羊の値段が180シケル(当時1シケル約45円)か190シケルかで、折り合いのつかないことが原因であった。見ていると、お互いの声がだんだんに高くなり、ついには二人とも腰に下げたアラビア風の短刀に手がかかるほどになった。そばにいた私は、ハラハラのし通しだった。

だがそこは砂漠の民の伝統、よくしたものである。長老格の老人とその補佐役と思しき男が二人、調停に入って185シケルでめでたく手打ち、両者は白い歯を見せながら肩を抱き合って幕となった。あれほどの争いをした上でのこと、どこかにしこりが残りそうなものだという私の予想に反して、けんかの後は実にあっさりとしたものであった。”
(ユダヤ人最高の知恵 ?三笠書房 p21~22)

現代ユダヤ人社会がそうなのです。
比べて2,000年前、イエスさまの時代に、彼らがもっと平穏・従順な民だったかって?…


いいえ。と断言する罪をお赦しください。
ただ、聖書にもたくさん散りばめられている状況証拠によって。それはないでしょう。

神がモーセに対して「これは、実にうなじのこわい民だ」と仰せられ(…ため息まじり?)、

ソロモンが「この大いなる、あなたの民をさばくことができますように、知恵をください」と嘆願した民、
ソロモンをして「神の知恵でもないことには、管理・統括できない」とさじを投げた民。
(出エジプト32:9、II歴代1:10)


「目には目、歯には歯」だけにしておけよ!!
エスカレートして、腕を折ったり殺したり、
一家全員皆殺しにしちゃだめだよ!!…そんな方たち。


ユダヤ人の方。偏見と言われればそうです。すみません。
ですが少なくとも一部には、こうした強情で不従順な性向が見られたのでしょう。

【何でイエスさんだけ】

振り返って日本。我々日本人の大半は、教会で。
大人しく、慎ましく、従順で、涙もろく。
手を上げよと言われれば上げ、立てと言われれば立ち、
祈れと言われれば祈り、牧師の言葉にひたすら耳傾ける…。

おっとこれも偏見アリアリですね。!!
でもこうした「良き教会人」でない人は、

自分には合わないと去っていった。or
俺も立派な教会人になりました。

だから自然、教会にいらっしゃるのは柔和な方たちが殆どなのではないでしょうか。


ともすれば我々は、そんな大人しい聴衆を想像してしまう。
イエスさんが教えた時代の人々に、我々の従順なイメージを重ねてしまう。


違う違う。

上記にあった様に、

「お前はそう言うけどな。俺はこう思うよ!!
…おい、けんかするか」ということを憚らずに話してしまう民です。

ユダヤ人社会が律法に拠る権力構造を強めざるを得なかった理由も、恐らくこうした「従わない性質」を押さえ込むためかも知れません。逆らったら家族全員 村八分ね、みたいな。

そんな民を、イエスさまの前に想像してください。

男が5,000人~。

序章の前島公式を当てはめますと、
「ユダヤ人が5,000人寄ると、7,500の意見が生まれ、10,000の政党ができる。しかも、そのいずれもが正しい。」
これはかなり少なく見積もって(2人版の単純拡大解釈)のこと。
人の思想・アイディア創出は乗数的であり、恐らく女性や青年も含めたら、
…天文学的な数の政党ができるに違いない。

全員が全員、「俺が正しい」と主張する。
しかも長老が出てこないと刃傷沙汰。まとまる話もまとまらない。

そんな民を相手に、語り、触れ、癒すイエスさま。
そんな民が諸手を上げて歓迎し、「ホサナ」「祝福あれ」と叫んだイエスさま。


「俺とお前は違うけどな!あ!イエスさま~(はあと)



やっぱり、奇跡はあった。
何らかの、人々が「見たことも、聞いたこともない」しるしとしての奇跡が。
議論好きの彼らが、心から納得して従ってしまうほどの、神の御手の働きが。

そうでなければ、この民の動向は、説明できない。
そうでなければ、神でさえ「うなじが…」と嘆いた、この民の感動ぶりは、説明できないのです。

ベツレヘムの羊マーケット
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