後藤 秀孝
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JAPAN
【立ちんぼ】つづき
2011-08-23 Tue 21:54
パキスタンの労務者たちを思い起こすと、お昼には既に全員雇用が決まったのか、それとも諦めたのか。
正午には人気はなくなっています。あのままいても、仕事が得られる保証は無いのだから。それでなくともひたすら暑い。

―――――

反面、ぶどう園に遣わされた最後の一組の人たちは、一体どんな心持だったのでしょうか。


そもそも、日雇いベースの雇用関係が多かったであろう当時、

「残りもの」

になるのは理由があるのです。




おそらく体力がなく、小柄で、特に技術も知識もなく、
年をとり、衣類も薄汚れ、
見るからに要領の悪そうな、自信の無さそうな方たち。

自分には誇れるものの、何もない方たち。
そんな人たちが、でも諦めずに待っていたんですね。

逆に、他にやることのある者、
友人宅でギャンブルにいそしめる者、
帰って寝ることを選んだ者は、

この場に残っていなかった。



実に、早朝から夕方まで、一日立ちんぼ。

その周辺を通る人たちからも、冷たい目線を浴びせられます。
「なんでこんな時間にまで、来もしない仕事を待っているのかしら。」

だって、3日間何も満足に食べていない。
だって、まだ小さい子どもたちが家で待っている。
だって、病気の親を何とか面倒見なければいけない。

俺がしなければ。
俺だけが、一家の最後の頼みなのだから。

そんな覚悟の上で、かもしれません。彼らは立ち続けた。


夕暮れの迫る午後5時に、人々の喧騒を抜けて、白い装束の旦那さまがこちらに歩いてこられた。

可能性は低いけど、彼らの視線は自然と集まったと思います。

そして、そのお方が優しく語りかけ、すぐにぶどう園に行くよう申し付けられた時。


どんなに喜んだでしょうか。立ちんぼの労務者たちは。
どれほど救われたでしょうか。最後の最後に、一日の働きが約束されたとしたら。


彼らがぶどう園についた時、既に忙しく立ち働いていた「先輩」たち。
すでに指揮系統ができていて、派閥や仲間関係もできていて。

そんな中に、夕刻の労務者たちが入ってきました。

「こんな時間に何しに来やがった」
「残りもんの年寄りどもが」

そんな蔑みの視線をここでも浴びながら、
しかし、夕刻の労働者は、雇われた喜びを胸に懸命に働いたことでしょう。

―――――

そしてもう一つ。給与支給のそのタイミングで。

批判的な目で後発組を眺めていた先輩労働者たちは、自分の給与(変わらず1デナリ)を受け取った時、園の主に抗議しましたね。

「俺たちのほうが多く働いている。なのになぜ同じ賃金なのか」と。

そこには、自分たちと後発組の職人たちを比べて、
自分たちの方が優れている、自分たちのほうが良く働いている。

そう訴える自己義の心、驕りがあるのです。

それは、放蕩息子(ルカ15:11~32)のエピソードの、兄の抗議に通じるものがあるのです。

そんな驕り高ぶりの心を、神は遠ざけられます。

―――――

考えてみてください。

自分には誇ることが何もなくて、

ただただ神の恵みにすがることを望んで、
諦めずに待っていた方たち

が、先にその報酬を得たのです。



ここに、キリストの教えの深奥があります。

主の御恵みは、主の護りは、主の愛は。

全て、こうした弱さ覚える者、心貧しい者、
心砕かれて、神の前に自らへりくだる者のために

溢れるほどに注がれているものだから…。
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