後藤 秀孝
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JAPAN
【緑の 愛】
2011-08-10 Wed 09:49
今日は植物に関して一考。
我々の食生活に無くてはならない、多くの実をつけてくれる植物について。

義務教育~の学習を通じて、私たちは

「植物は動物の本能(=食欲)を利用して、
その種を遠くに運ぶ助けとする。」

などと教えられています。だから食べ易い実をつけるのだと。

しかし、広い植物界を見渡しますと、全員が全員そうではない。




苦瓜
毒キノコ

くるみ
ドリアン
その他その他。

全身で
「俺を喰うな!!」
「食べたら危険」
「普通腹壊すだろ…」
と語っている植物もあるのです。


【いちじく桑】
そんな植物界の中から、本日はいちじくの御紹介。

聖書の記述では意外と可哀想な目を見ている いちじく桑(マタイ21:19)。
後藤家のそばには、御家庭でいちじくを育てているお宅があったり、公園の隅に大振りのいちじくがあったりで、結構触れ合う機会が多いのです。

8月のある日、自転車で買い物の帰り道。
いちじく桑から3mt程度の距離に寄ると、なんとも芳しい香りがしてきます。

漢字で書くと「無花果」、つまり花をつけない植物なのに。
あまく、芳醇な香り。昔、祖母に勧められて食べたいちじくが、口に広がったあの時のような。
しつこくなく、さらっとした感じの、心地よい芳香なのです。

いちじく

それはあたかも、

「もうすぐ食べ頃ですよ」
「どうぞどうぞ、遠慮なさらずに」
「まだまだたくさんありますから…」

と言うような、いちじく母の豊かな歓迎を受けるが如し。


【いちじくの 無私】
そうです。いちじくをはじめ果物の多くは、
自分の実を、つまりこれまでの努力の結晶を、ある意味

奪い取っていく者たち
に対して。

あるものは香りで。
あるものはわざわざ目立つ色をつけ。
あるものはその殻を開いて。

「さあ、お食べなさい」
という存在なのです。

「私から取って、あなたのために役立てなさい」と。

それを悔しそうに、辛そうにするのではなく。
あの風雨の晩に苦しみ、夏の暑さに辟易とした、
その苦しみと共にするのではなく。

「どうぞ」という もてなしと言うか、慈しみをもって提供するのです。


それは何とも、神さまの愛に通じるところがあるなぁ。

植物の彼らの方が、
神さまの方向を見て、歩んでいるなぁ。

そう感じさせられる一事なのです。


P.S.ついでに岩槻の今の風景を。
お米も、凄いよ。

お米8月2

お米8月

小さいかえるもたくさんいました。
被写体。動くな。

かえる
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