後藤 秀孝
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JAPAN
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【土壌に蒔かれた種】
2011-05-03 Tue 09:31
聖書を読んだことのある方なら、主イエス・キリストの語られた『種を蒔く人のたとえ』をご存知だと思います(マタイ13:1~23、聖書からの引用下記)。

この話の中で、ある種は道に落ちて鳥に食べられ、ある種は岩地に、ある種は茨の中に落ちて、伸びることができませんでした。しかし、良い地に落ちた種は実を結び、100倍、60倍、30倍にもなったと言われます。

ここで考えて欲しいことは、『種を蒔く人』がなぜ、道路や岩地に出るほどに力投してしまっているのか?
茨(いばら)の地に落ちるほどに、種を蒔いてしまっているのか?そんなことです。


【農業の 美】
今、さいたまの岩槻は耕した畑に種まきや、水田に水を導き入れ稲を植える作業で大忙しです。
ご高齢者やそのご子息(といっても40~50台)が作業をされるので、

見た目のんびり。という風情ですが、言っときますけど、
大忙しなのです。

彼らを観察しつつ日本の農業を考えると、上記に挙げたように、種まきより先に沢山の根回し段取りがあります。
肥料・消石灰を入れたり、昨年の残渣を焼いて灰にし、田に漉き込んだり、トラクターで耕したり。
水田の苗付けもその下準備として、水を張った後特殊なトラクター(水上駆動型)にて土を耕しています。

そして、種を植えるときはピンポイントです。
田の溝、またコンバインの正確無比な植え付けにより、均一に並んで行きます。
無駄な種子や苗は一つも出すまい、という農家の方たちの決意が見えるのです。

それに対して、このイスラエルの農家の方はどうお考えでしょうか。
クラスター種まきの彼らの動向を考慮するために、その時代背景と気候などを知る必要はあります。

【過酷】
この例えの背景となったユダヤの自然は砂漠気候であり、降水量に乏しく、かつ日中夜間の気温差が厳しい。まさに荒れ果てた土地でした。平地は少なく、多くが山間部の小規模田畑であり、貧しい農家が与えられた土地の内、耕作に適した地は限られていたに違いありません。

しかも、世の戦乱が常に暗雲立ち込めさせていたことも、忘れてはいけません。いつ隣国から侵略されるか分からない。
歴史的に確執のある隣人たちに加え、遠方よりアッシリヤ(BC722~)・バビロニア(BC586~)・ギリシャ(BC332~)・ローマ(BC63~)などの覇権国が攻め上ってきたのです。
おちおち農業やって、今年の収穫はこれ位で、来年の予測は…などと悠長なことを言っていられない状況がありました。
ただし、食べていかねばならない。家族を養わねばならない…。

だから下準備もそこそこに、豊穣を祈りつつ、良い地に落ちることを祈りつつ、種を蒔く人は出かけたのかもしれません。
そして、種を蒔いた地面を後から耕したそうです。

【種を蒔くイエス】
この例えを引かれたイエスさまは、当時の農家の状況をよくご存知でした。
だから、未整備の土地に落ち込む種の存在をも語られたのです。

そして、御言葉の種を蒔かれた時の気持ちも、農家の方と同じでした。

『良い地に落ちますように』
『100倍の実をつけますように…』。

そして、全知全能なる主は、その祈りを現実のものとできる方です。


裏を返せば、あなたに落ちた御言葉の種。


主が力投して、あなたにも届くようにと手渡されました。
それはあなたが、

「私は神など必要としない」
「宗教など、弱い者の求めること」
「言うならば私は、神という存在からもっとも遠い存在だ」

と心で感じているからです。主は場外覚悟で、あなたの地に向けて投げ続けているのです。


それは、主はあなたが実り多い、良い地だと知っているからです。

もしくは、御言葉の種が生きているうちに(しかも種子は、10年~一説によれば1,000年もの期間を生きる(平安時代のハス)ことがあります)、その土地が良い地に変わることを知って、蒔かれました。


私たちがするべきはただ、その種を受け取ること。
御言葉に対して、自分なりの疑問質問を晴らし、更に理解を深めて、『私がその方を信じることができますように』と祈るだけです。

そうすれば、創造主である神は必ず、

過去の傷や恨み、憤りなどという荒野を、主にある愛で潤わせ、
嫉妬や自己憐憫、欲望、怠惰、他人の顔色を窺いながら生きる自信のなさ…などという茨を払い、

その力強い御手であなたの土壌を耕し、
太陽の光を届け、
水脈を与えて…

あなたの人生を豊かなものに変えて下さいます。

主に期待し、信頼して、Amen!と言うことができます。

種を蒔くもの

マタイ13:1~23
その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。

 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。」

すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。

わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。
  『あなたがたは確かに聞きはするが、
  決して悟らない。
  確かに見てはいるが、決してわからない。
  この民の心は鈍くなり、
  その耳は遠く、
  目はつぶっているからである。
  それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、
  その心で悟って立ち返り、
  わたしにいやされることのないためである。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。

ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
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