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後藤 秀孝
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JAPAN
セラペウォーの神
2011-02-26 Sat 23:42
以下、出典忘れました。昔読んだ書籍から思い出した話を少し。

【セラペウオー(=セラピー、癒し。ギリシア語)の神】

セラペウオーの神は、癒しの神です。
そう言うと、多くの人は「へぇ~、すごいね!」と羨ましがるのですが。
本人にとっては「とんでもない!」能力なのです。

セラペウオーの神は、病人に触れ
その病を自分の体内に取り込みます。
つまり、自分がその人の病を担うのです。

セラペウオーの神は、もともと元気で明るい人(?)ですが
他人の病を負って、自分も苦しみます。
時には生死の境をさ迷うほどに…。



セラペウオーの神が、昼夜苦しんで。
自分でその病を乗り越えた後。
良くなった体調を、病気だった人に返します。

セラペウオーの神の、汗と苦しみとお陰で、その人は癒されます。
でも神なので、元病人の彼/彼女からは、
セラペウオーの神は、見えません。

セラペウオーの神は、それでも、
「良くなって、良かったね」と笑って、
更なる癒しが必要な方のもとに向かい、去っていくのです。

上記【セラペウオーの神】の話は、
心理カウンセリングの世界にも通じます。
もう一つ、もちろん主イエス・キリストの働きにも通じますね。

まずは、心理カウンセリングの世界より。
故・河合隼雄博士の書籍の中でしたか、こんな表記がありました。

「カウンセラーはクライアントの懊悩する部分に関して、守秘義務があるために、それを誰にも明かすことはできない。
友人らと、その件について世間話をして心を落ち着けたり、
スーパーバイザーか誰かの指示を仰いだり、
なんでこんな困難ケースが来るんだよ…と批判して肩をすくめたりせず、

クライアントの苦しいところを、カウンセラー自身も苦しみながら、自分の中で咀嚼・理解・消化して行く。

こちらを立てればあちらが立たず、といった矛盾。
解決なんて到底見えてこない状況に苦しみながら、クライアントの苦しみを自分の物のように抱えて、懊悩しながらカウンセリングを行う。

すると、正答ではないかもしれない。提案にすらならないかもしれないが、
苦しんだこと、共感に努めたことが必ず奏効し、
クライアントも自分も、落しどころとして何とか妥協できる解法が、与えられたりする。(内容意訳)」

自己の心理世界の枠を取り払い、相手の心理世界に肉薄し、溶け込み、その患部に触れる。
その患部を自分の精神の一部に取り込む。
つまり、相手の【毒】【怨念】【復讐心】【病的な衝動】を自分の一部として受け取り、
それについて考え、理解しようとし
時にその理解の過程で、自分も毒され、世に絶望し、人に絶望し…。
自身 無関心になったり、無気力になったり、不眠になったり…。
そうしながら、クライアントの世界に近づいていく。
クライアントの苦しみを、自分の物として苦しめるように、近づいていくのです。

そうすると、見えてくるものがある。
極限の真意に、ほんの少しでも近づくことができる。
その共感の上で、クライアントに語りかける言葉が、響いたりする。

そういうことなのでしょう。


そして、言うまでもなく。
上記のような働きは、永遠の同伴者である主イエス・キリストにも見られるものです。

人間カウンセリングと異なるのは、

主が、私たちの心の一部、ではなく、
全てを知っており、全てにご自身の想いを重ねあわされていること。

主が、今現在も、同時進行で、
私たちの心に去来する全ての想いをご存知であること。

そして、主が、その更に先にある将来への計画も抱かれて、
私たちの心労を解き、私たちに希望を与えて癒してくださること。

ですね。
天地創造、万物の上に立つ創造主。
あなたの被造物の一人として、その全てを包み込む大いなる愛に、ただただ、感謝するのです。
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