ここでご一考下さい。Consider the following:
もしある人に、この地上を統べる能力が与えられたとして。
自分が欲しいものを、欲しいだけ、すべて手に入れる力が手に入ったとします(某S氏のようですね)。
どうなるでしょうか。その人の人生は。
あなただったら、と仮定して、望むところを忌憚なく述べてみて下さい。
まずは①食事でしょうか。地上のありとあらゆる贅沢品、山海の珍味、美酒美食…。飽きるほど食べるでしょうか。吐きながら食べるでしょうか…。
次に、②物でしょうか。不動産でしょうか。装飾品でしょうか。車でしょうか。デパート一棟買いでしょうか。
そして、③人でしょうか。追従する召使たちでしょうか。美しい秘書たちでしょうか。金に物を言わせて、世の美男美女を集めるでしょうか。
それとも、さらに自分の地位や経済力を増大させるため、他の人々を労働に服させ、搾取する構造を作るでしょうか。
そうした生き方の末、どんな結末が、想像されますか。
一人の人間のキャパシティを、はるかに超えた物質的・心理的な濁流が、その人を容易に飲み込んで。
ぶくぶくと太り、贅沢病になり、眼底出血→失明し、末端神経の不全→四肢の壊疽が始まり、終に腎機能低下、人工透析へと到るのではないでしょうか。
所有するに到った物品の管理に追われたり、それが失われることを恐れて、何者をも信じられなくなるのではないでしょうか。
笑顔の仮面を被ったYesマンたちに囲まれて、他人との真の交流も、感動もなく、不信感と疑念ばかり深まっていくのではないでしょうか。
そのうち、気に入らない人間を投獄したり、処刑したり…。その悪のスパイラルは、どんどん加速されていきます。悲しい人類の歴史が、証明していますね…。
終にその人は、人間ではなくなるのではないでしょうか。
「求めよ。そうすれば与えられる」と、聖書は言います。
ですが、同時に創造主である神は、その与えるタイミングをも計っておられます。
最良のときに、最善のものを与えるのが、主です。
すべて自分たちの思う通りになる、そんな与え方はされないのです。
①有害なものは与えない、という判断をするかもしれませんし、
②待っていなさい。まだ時が来ていない。と言われるかもしれません。
はたまた、
③それを入手するために、さらに成長せよ、と望まれるかもしれません。
そして創造主の目に適うときに、
④人間が思い巡らす分を遥かに超えた、素晴らしい贈り物を与える。
それが創造の神のやり方。と言うことが、多くの方々によって証されています。
目標の実現を主に信頼して委ね、常に祈り、信仰に歩み、他者を益すること が肝要ですね。
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