後藤 秀孝
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JAPAN
人間の徳行
2010-12-05 Sun 23:40
キリスト教会で聞く説教に、時折「私/OOさんはこんな信仰を持ち、こんな歩みをし、こんな決断をし、こんな奉仕をしたから、(もっと)祝福される」といったメッセージが含まれることがあります。仕事 < 礼拝、家族 < 教会への奉仕、Less献金 < More献金、=スゲェ。といった価値観が励行される。そんな印象を与えられることがあります。

そこで紹介される事例は、いずれも「私/OOさんはこんな代償を支払って、神の御心に従い歩んだのです」=スゲェ。というシナリオです。

そうですね。

スゲェ。

ですね!。


そこで、後藤はこうも思います。

「こうしたから超・祝福される」
「こうしなかったから祝福はしょぼい」…

そんな人の計りで理解できるほど、創造主の愛はきっと「浅くない」と。


聖書でも、イエスさんは「できる人だから祝福する」などとは言っていないからです。

逆に、「私は正しい人を招くためではなく、罪びとを招くために来た(マタイ9:13)」と言われているからです。弱い病人や障害者、咎人の方たち(主の目には、私たち全てが該当します…)を助けるために、この地上に来て下さったのです。

その咎人であり病人であり、障害を抱えた私が、リハビリで「50歩歩もうと、100歩歩もうと」主がその大きな愛によって、この地上に降られたことに何ら差は無いのです。50歩100歩(本来は逃亡した兵士の例ですが)、目くそ鼻くそを笑う、まあそんな諺がありますが、まさに人のすることなど、創造主の目には差はない。そう思われるのです。

反対に、主は「右の手のしていることを、左の手に悟られないようにしなさい」と言うほどに、自分の行いによる義、自己義の考えに対し注意勧告しました。
この辺の理解で、間違ってはいけないのは、
「主の道に従い、奉仕する/教会活動をするから救われる・祝福される」のではなく、

「主イエス・キリストによって祝福された・救われたが故に、主の道にさらに従いたくなる。」だから行動する。奉仕する。他人の人生に触れる。癒しの働きをする。ということでしょう。

日々新しく作り変えられていくあなたの・私の一挙手一投足を、その背後にある想いを、主はすべてご存知です。
すべての人は罪びとであるので、マァ所謂 鼻くそ。目くそ。と言うと言い過ぎですか。
…でもその位へりくだって、自分のことを深く顧みる事ができた人が、改めて主の救いにあずかることができるのです。


主イエスよ。どうか、私たちを謙虚に、誠実に。あなたの胸の内に保ってください。

すべてを創り、すべてを見通し、すべてを赦し、すべてを愛された。
創造主である あなたに信頼し、期待して。

主イエス・キリストの御名を通して、お祈りします。
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