後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
誰しも
2010-07-22 Thu 23:40
一度や二度、人生の中でに会っています。

それは自然の美しさの中であったり、生命の危機であったり、他人との出会いの中であったり、孤独であったり、空腹、乾き、暑さ寒さの中であったり、病院であったり、戦場であったり、朝の満員電車の中だったり…するわけです。

その神さまは、肉体を持ってこの地上にやって来られました。
両親の無理な旅程の中、止まる場所もなく、真冬の馬小屋で生まれました。寅さんみたく、産湯も使っていません。

人の中で、慎ましい生活をし、大工として家族を支えました。一個の人間として、親からの愛、友人関係、仕事、礼拝に勤められ。

太陽の日の元、眼前に広がる草原を渡る風を眺めていました。
羊を追う子どもたちを笑顔で迎えていました。
夕食のテーブルで、その日あったことを共有したりしました。

そして、30歳頃から公的宣教の旅をされました。

そこで、たくさんの奇跡をもって、不治の病や精疾患、麻痺、視覚障害、てんかん…などを、片っ端から癒していかれました。彼の手に触れられ、声をかけられると、死んだ人すら甦りました。
主の語るメッセージは、天の父からの権威を持っていました。
罪ある人々は、主イエスキリストを信じることで、その罪咎を赦され、永遠の救いに入ることが約束されました。

涙をもって、たくさんの人々が救われました。



しかし、主イエスの活躍を妬んだ当時の権力者たちから、迫害されて。
が許されたそのタイミングで、主は自ら、迫害する者たちの手に下ったのです。

迫害者に囲まれ、偽証と嘲笑に満ちた出来レース裁判を通されて。
主は鞭打たれ、殴られ、蹴られ、唾をはきかけられました。

そして、当時最悪の刑だった『十字架刑』の死にも、甘んじて従ったのです。


死してその身体は、死亡確認のため、槍で刺し貫かれ。
にわかに降り出した雨に濡れながら、十字架から引き降ろされ、墓に納められました。


しかし、キリストは死の間に黄泉に下り、その光を地獄で苦しむ人々にも現しました。
そして3日後によみがえり、墓場に包帯だけ残して、愛する弟子たちの元に向かったのです。

【だから理解できる】

人間としての痛み・苦しみ・孤独・悲しさ・空腹・暑さ…。
その反面、喜び・感謝・友愛・慈しみ・慰め…。

そうしたもの全てを経験し、人間の汚いところもたくさん見せ付けられてきた方。
そんな方が、あなたの、私の痛み・苦しみまでも、『分かる、分かるよ…』と共感して聴いてくれるのです。

他の々・宗教信仰を見ても、自ら血を流し、死に従い、しかも多くを『赦して行かれた』は、主イエスさんだけです。


そんな、喜びも、悲しみも。全てをご存知の方が、あなたを招いておられます。

十字架を負って
スポンサーサイト
別窓 | 神さまってどんなかた? | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<託される | キリストの愛を 超多忙なあなたに | 言うこと、書くこと>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/