fc2ブログ
後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
「ない」ところに「ある」 神
2010-07-11 Sun 22:00
親愛なる兄弟姉妹のみなさま

この前、トポス上野公園/梅島キリスト教会にお邪魔した時のことです。筆者の浅はかな思い込みから、彼らの素晴らしい活動をもっと世の中にPRしよう!その為にはブログだ!…と短絡的に考えて、比留間牧師夫妻、また教会員の方たちの「承認」を得ようと訪ねた時のことでした。

アケミ牧師の言葉は、こちらの意に反して、とても慎重で、繊細なものでした。


と言いますのも。
彼らの過去の歩みの中で、様々なメディアがトポス教会の活動に、群がった時期があったそうです。
それこそ有名テレビ局取材班、新聞・雑誌記者など…。

しかしそれらは「彼らが書きたい/表現したいホームレス像や、支援者像」を求め、記録し、放送したいのであって。
つまり「元会社経営者:今ホームレス」「元大学教授:今缶拾いで日給1,400円」「元大手証券マン:今ブルーシートハウス住まい」…と言った、「波乱万丈・塞翁が馬・あの人は 今」系の話を描きたいのであって。

トポスキリスト教会が日々みことばを伝え、新しいスタートを切るための支援をしようとしている人たち…。

●中卒、工事現場で20年勤務、左膝と腰を痛め仕事にあぶれて路上生活開始。
●地方出身、17で高校中退後、東京に出て飯場勤務。バブル後仕事が減り路上生活開始、アルコール依存あり。
●高校卒業後、引きこもり。母子とも都営住宅に住み、母の生活保護費で何とかやってきたが、母が入院。行き場もなくなり路上生活に。統合失調症、パニック障害。

等は、彼らメディアにとって見れば「関心がない。」訳です。そればかりでなく、路上に落ち込んだ方たちに対し「なるべくしてなった」「自業自得」といった心証まで持ち、偏見によって皆十把一絡げにされ、全く光を当てようとはしなかったそうです。ましてや、比留間牧師夫妻の言葉の「取り上げたいところだけ取り上げて」「脚色粉飾し」牧師夫妻の意思に反して、「彼らの書きたいように書く」…。そんなことが多々あったそうです。

ですから、軽率に「メディア告知だ」「ブログだ」と叫んでも、そんなモノには関心がなくなった。
と言うか、メディアの恐ろしさを知るがゆえに、完全な拒否反応でした。


かく言う私自身も気付いています。ネットメディアの危険性に。
PC画面上の「文字」を見て、その皮相の印象だけで「反応する」方たちもいることを。

彼らがまた、言いたいことを言い、揚げ足を取り、蔑み、争い、…教会の意図とはかけ離れたところに、あっという間に連れ出されてしまうのが、今の薄っぺらい「情報化社会」の一面でもあります。一人一人の人間を知り、理解し、歩み寄り、弱さを支えあう…そんなことは面倒くさい。ですからね。感情的に「反応」して、受け取る人間の気持ちも考えずに、文句や愚痴や批判を述べたほうが楽だし、自分の精神衛生上、よろしい。自分さえ良ければよろしい。今楽しければ、それでよろしい…。


しかし、現代社会が失った「人間味」は、「一人の人間を知り、理解し、歩み寄り、弱さを支えあう」事の中に、存在するんじゃないですかね?すみません、こちらも「反応」して、かなり脱線しました。本題に戻ります。


今の世の中で、ネット上での情報公開を袖にして、実践重視の独自路線を歩む…。
時代に、逆行していますかね?トポス教会…。

しかし、年を経て物の見方が豊かになると、それは単純に「時代錯誤」とは言えないのも事実だなぁ、と思うのです。


●「合理的に見られない」ところに「ある合理性」
たとえば、元京セラ、現日本航空の稲盛会長。彼の経営哲学の中で、「実業(生産、開発により付加価値を創造する)に専念し、虚業(投資活動で資産を増やす)を排す(作者意訳)」ということがあります。猫も杓子も証券・不動産の取引に熱を上げたバブル経済の真っ只中、投資活動に全く参入しなかったがゆえに無借金経営を続けられた京セラのことを思うと、当時は愚かに見えるその選択が、後々正しかったと証明されるケースがある。のです。

●「場所がない」ところに「ある診療」
また昨日、浜田クリニックの梶原医師よりお話をお伺いする機会があったのですが、この浜田クリニック、上野の地域に根ざした医療を、と言うことで30年来活動されています。しかし、梶原医師が笑って言うには「医院は狭いので、診察室は一つ、よって一人しか同時に診られないんですよ…。」

だからこそ、浜田クリニックは神経・精神医療の専門家でありながら「往診」するのです。自転車で医師、看護士さんらが移動し、患者さんのお宅に伺い診察するのです。世間の見方に反して、彼らの地境はどんどん広げられています。

●「金も物も設備もない」ところに「ある神」
そして立ち返って、トポスキリスト教会ですが。
拡大路線の教会と異なり、「ない」ことが多い、教会運営だと言われていました。

毎週の炊き出しのためのお米や食材も、自分たちではどうにもできない。そんななか、田舎の農家の方たちが豊かに分け与えてくださる。
自前の豪華な建物はないが、一人一人の弟子たち、教会員の方たちと言う堅固な「教会」があり。
財政面で資金はないが、その代わり「奇跡」があり。
寄進してくれる「パトロン」はないが、300名を超える兄弟姉妹がある。

彼らの心に、比留間牧師夫妻が種を蒔く。
その種が成長し、花開く土壌が、心の貧しさを悟った方たちの胸にある。


私たちが「ない」と絶望してしまう先に、強力に臨在し「ある」神。
これは、新約聖書でパウロが言うとおり(第二コリント12:9~)です。

比留間牧師夫妻の話を聞いていて、改めて神の意思を垣間見せられた機会でした。

神が癒された
スポンサーサイト



別窓 | 神さまってどんなかた? | コメント:0 | top↑
<<チェルノブイリ再考 | キリストの愛を 超多忙なあなたに | 人のため でも 人による>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/