「平和の祈り
主よ。
私をあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。」
Amen!!
こんな素晴らしい祈りをささげた、アッシジのフランシスコ。しかし彼はもともとは、金持ちのボンボンであり、勝手気ままに生きてきた浮浪雲だったのです…。
フランシスコさん:
1181年、イタリアのアッシジ生まれ。父は当時の名士であり呉服商、ピエトロ・ベルナルドネです。生まれの良さから人生何一つ不自由なく、若い頃は取り巻きの若い衆と飲んで騒いで、自由奔放な生活を送っていました。
しかしそんな彼に転機が訪れます。当時のアッシジはペルージャと戦争状態であり、祖国への想いからフランシスコは騎士としてその戦に志願しました。しかしそれは多くの死者や捕虜を出した戦争だったのです。
結果、フランシスコ自身も捕らえられ、ペルージャの牢に幽閉される羽目になります。
そんな彼が何とか無事釈放された時。虜囚時代の心的・肉体的負担も手伝ってか、大病を患います。数ヶ月に渡り高熱に悩まされ、死の渕に何度も触れて戻ってきた時、フランシスコはこれまで放埓に過ごしてきた人生の虚しさを悟るのです。
故郷のアッシジを去り、胸いっぱいの虚ろを抱えながら旅するフランシスコに、主の声が届きました。
「あなたはどこへ行こうとするのか。
あなたの国に帰れ。そうすればあなたはなすべきことが示されるであろう。」
アッシジに戻ったフランシスコは、その後享楽から完全に退き、洞窟で一人主に祈る時間を持ち始めました。そして貧しい者、らい病患者といった社会的地位の低い方たちと時間を過ごすようになり、また打ち捨てられた聖堂の修繕を行なったのです。
裕福な家庭の跡継ぎが、生死の境をさまよう経験を通じて、いまや自身乞食のごとくやつれてしまった…。その事実を認めず、憎み迫害したのは、実はフランシスコの父親だったのです。息子の勘当を決意し、その旨司教に訴え出ると、フランシスコは「みなさん、私はこれから天主だけにお仕えするために、父の心を悩ましていた金と、彼からもらった着物を全部返します。そして今日からは、ピエトロ・ベルナルドネは私の父ではありません。天におわす聖主のみを我が父と呼びます」と逆勘当…!
当時の社会では考えられないことが、主の道を歩む者によって成し遂げられたのです。
そんなフランシスコの清廉な生き方に惹かれて、弟子達が集まってきました。それが1209年に発足する、フランシスコ修道会の始まりです。
「浮浪雲」フランシスコは、こうして聖フランシスコとして、人々に長く記憶され、尊敬される存在となったのです。
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