fc2ブログ
後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
12弟子たちの その後
2007-11-07 Wed 12:30
O-12の元祖、「ふつ~の12人」であった弟子たち。主イエスキリストの死と復活、昇天は弟子たちの人生を全く変えてしまったのです。
今回は2話に渡り、「使徒の働き」で語られていない彼ら(ここでは8名)の後の人生を追いました。

1.ペテロ:一介の漁師から、カソリック初代教皇へと
AD67年、ペテロはローマで布教活動を継続していました。当時の皇帝ネロ(悪名高いボンボン。弟を権力争いの恐怖から殺害し、実の母と寝た後、彼女をも殺し、また自分の妻は自殺へと追い込んだ)が、「実は自分で放火したらしい」ローマの大火。その罪を隠蔽しようとした時、彼の頭に浮かんだのが「新興宗教キリスト者に、全てを押し付ける」という策でした。その集団のリーダー格だったペテロが、ネロの標的になったのです。

一度捕縛されるも、ペテロは脱走します。そして一路、ローマから退去しようと門へ向かったのでした。しかし、その門の手前で、ペテロは驚くべき人と会います。

イエスが、門を抜けてローマ市街へ向かって歩いているではありませんか。すれ違ったペテロは自分の目を疑いながらも、主に尋ねます。「主よ。どこへ行くのですか。」

「十字架にかかるために、ローマに行くのだ。」

あの時と同じだ。主はまた、自分の身代わりとして死のうとしている…。
涙を流しながら、ペテロはすぐに引き返し、逆さ十字に磔にされて殉死するのです。

2.アンデレ:ペテロの弟、元洗礼者ヨハネの弟子
イエスの昇天後、アンデレはウクライナ地方で宣教していました。すると聖霊の叫びで「マタイを救いに行きなさい」と聞いたので、エチオピアまで出かけて行きました。そこで宣教中にリンチにあい、両目を抉られ傷だらけのマタイを発見したのです。
アンデレは泣きながら、神への祈りによってマタイの傷を癒しました。その光景を見た地元住民は、改心するどころか怒ってしまい、今度はアンデレを縛り上げて町中を引き摺りまわしました。

血みどろになりながらも、一言も呪ったり、脅したりすることをせず。ただただ祈り続けた彼の姿に、とうとう住民全員が回心した、という伝説。

アンデレの死も、凄惨なものでした。危篤だった知事の妻を奇跡で救ったところまでは良かったのですが、救われた彼女がキリスト者になったことで知事が激怒し、アンデレを20人がかりで袋叩きにし、X字の十字架にかけました。わざと釘を打たず、苦しみを長引かせるため紐で縛るやり方でした…。

十字架の上で二日間生きていたアンデレは、苦しみに喘ぎながらもなお、見物人に説教を続けたのです。残された聖霊の炎を燃焼させて。

3.ヤコブ:元漁師、キレ易い「雷の子」の片割れ
イエス昇天後、「雷の子」ヤコブはまさに電撃のように布教に飛び回ります。はるばるスペインまでその旅は及び、そこでできた弟子たちをエルサレムへと連れてきたりしました。

西暦43年ごろ、過越祭を控えたユダヤ人の間には、反ローマ熱が再燃。当時のユダヤ王ヘロデ・アグリッパは少年のころローマで教育を受けており、親ローマの彼を人々は憎しみの対象とすることも考えられたのです。
その危機回避のために、アグリッパが一考したのが「異教徒クリスチャンの罪を捏造して、処刑すること」でした。その姑息な保身の犠牲になったのが、教団幹部だったヤコブなのです。

勇敢な海の男は、最後まで怯みません。刑場に引かれていく途中、道端にいた足なえを軌跡の癒しで立たせています。ヤコブを綱で引いていた役人は、その光景を見て驚き、瞬時に回心しました。しかしその信仰から、ヤコブと共に打ち首にされたと言います…。

ヤコブの死体はエルサレムでの埋葬ができないため、弟子達は密かに船で地中海に漕ぎ出しました。潮に流されるまま、彼らが運良くたどり着いたのはイベリア半島。ヤコブ宣教の地であるスペインでした。

4.ヨハネ:イエス「最愛の弟子」、後に福音書を残す
イエスが十字架の死に従われる寸前、母マリアとヨハネを引き合わせ、「これからはあなたの母/息子です。」と告げたことから、ヨハネはマリアが亡くなるまで忠実に世話をしました。マリアの死後、それまでエルサレムでペテロと布教活動をしていたヨハネは、トルコへと旅立ちます。

異教徒の地、トルコ…。そこで地元の神官に捕えられたヨハネは、異教の神への祈りを強要されます。しかしヨハネが代わりに主イエスに祈ると、異教の神殿が崩壊してしまったそうです。
神官たちは目を疑いましたが、次に毒の杯を持ち出してヨハネに言いました。「もしお前がこの毒を飲んでも平気なら、キリストを信じることにする。」
ヨハネは「いいでしょう。」と答え、毒杯の上で十字をきってから一気に飲み下しました…!

しばらく待っても苦しみもしないヨハネを見て、群衆は拍手喝采です。しかしことの成り行きが面白くない神官たちは、ローマ皇帝に「ヨハネ危険人物説」を告げ口しました。
皇帝はそれを受け、ヨハネをローマに呼び寄せます。そして、キリストを否認しろと迫りました。「そんなことできません。」ときっぱり断るヨハネを、皇帝は処刑場に送ります。

ヨハネのために用意されたのは、煮えたぎる油を満たした釜。ヨハネは観衆見守る中、その大釜に投げ込まれたのです。
煙あげる油の中に立ち、天を見上げて祈るヨハネは、しかし何ともありません。拷問しても無駄だと思った皇帝は、今度はヨハネを無人島であるパトモス島へと島流しにします。

その島で編纂されたのが「ヨハネの黙示録」でした。

その後、ローマ皇帝が死んで政策も変わると、ヨハネは島流しを解かれてトルコへと帰郷。そこで95歳まで生きたヨハネは、その晩年に「ヨハネの福音書」を残したのです。

年老いたヨハネに、ある日、懐かしい主の呼ぶ声が聞こえました。その生の終わりを悟ったヨハネが、弟子たちに穴を掘らせ、中に入ると、彼の祈りと共に強い光が彼を包んだそうです。

光が消えた時、ヨハネの姿もまた、消えていました。

<つづく>

last supper
スポンサーサイト



別窓 | Christianityってなんですか | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<12弟子たちの その後 II | キリストの愛を 超多忙なあなたに | 荒野で叫ぶ声>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/