2007-11-06 Tue 09:46
「ああ、今日はもう疲れたから、帰ろう」
先生、もう止めるのかい。 あの角の先にまだ、中学生の子が泣いているかもしれないじゃないか。 また私たちを放って、行ってしまうのかい。 また死なすのかい。 「夜回り先生」こと水谷修先生が相談を受け、関係を持ちながらも死んでしまった少年少女:84名。内約半分は自殺、半分はOD(麻薬等の過剰摂取)や、薬の影響下での事故死による。 それ以外のたくさんの青少年、数万のたましいを救い、癒してなお、死んでいった彼らの声に駆り立てられるように。水谷先生は、今日も送られてくる悲鳴メール・電話の応対、社会的認識を高めるための講演、また夜回りを繰り返すのです。 <こころの癒しだけでは足りない> 水谷先生は、競争や比較、批判に彩られた現代児童の荒んだ精神状況に触れ、その原因として周囲にいる大人たちのストレスを挙げます。 負の連鎖は私たちの生活に深く根付いています。先生の挙げた例だと、こういうことです。 景気が悪くなるにつれ、余剰人員として会社の上司や同僚からコケにされ、給料・ボーナスを切られ「辞めて貰ってもいいんだがね」とパワハラの被害を受ける父。確かに20代30代の全盛期のようには働けていませんが、取り戻そうと頑張るほどポカしてしまう。 お父さんはそのイライラを家庭に持ち込んで、お母さんや子どもに辛く当たる。すると、イライラバトンを受けたお母さんは次に子どもを叱ったり、虐待したりして解消する。 でも子どもは、その苛立ちやフラストレーションを、どこに持ち込めばよいのか。 お父さんなら夜の街に繰り出して、美味しい酒、美味しいつまみに舌鼓を打てばいい。お母さんはママ会にて毒を吐けばよい。 しかし子どもには、学校と家庭と、二つしかない。学校でも虐められている子だとしたら、もう完全に逃げ場がなくなる。発散する場も、息抜きの場もない。 親からあれこれ指示され、叱られてばかり。誰も愛してくれない、誰も認めてくれない。 そんな子どもたちが、成長して非行に走ったり、報復のため家族に暴力をふるう。夜の街に肯定と安らぎを見出し、夜遊びにふける。もしくは引きこもって、一日中仮想現実のゲームやパソコンに没頭する。 一体誰が原因なんでしょう。子どもなのか。親なのか。 社会や政治家、教育機関を批判し、その罪を負わせることは容易い。 しかし、そうして他人に責任転嫁している私たち。現状を見て見ぬ振りをして素通りする大人たちが、実は最大の原因なのだ。 そう叫ぶ先生のメッセージは、痛く耳に響きました。 <では今日できること> 水谷先生の優れた点。それは現場から発掘したニーズに対する解法を、「日常で」「誰でも」できることにブレークダウンして伝えていることです。 ●親御さんには「愛」「肯定」「褒め言葉」を、些細なことでもお互いに・子どもに対して告げるように。仮に現在子どもが非行に走り夜遅く帰るような場合も、みんな勢ぞろいして叱らず、明るく嬉しく迎えるようにと。 ●祖父・祖母の方たちには、金曜か日曜(自殺者が突出する曜日:金曜は週の恨みつらみを抱え込むとき。日曜は、新しい苦しみのサイクルの始まり)に、毎週孫たちに電話して心をくばり、元気がないようならば「どうした」「ワシらお前のこと愛してるぞ」「いつでも遊びにおいで」と励ましてあげるように。 ●子どもたちには、現状の苦しみにめげず、相談する・助けを求める勇気を持つように。 ●教師には、学校内でできる支援体制の確立に対して、臨時でも議論の場を持つように。 ●近所の大人たちに。「8・3運動」といって、午前8時と午後3時(登下校の時間)に道に出て、通学する子どもたちに明るく声をかけるように。一人ぼっちで寂しそうに歩く子どもには、「どうした」と優しく話しかける、そんな愛に溢れたスキンシップをするようにと。 先生の話は、担当されてきた少年・少女たちと共に得た勝利、そして時に痛恨の敗北の証で彩られています。歓喜のガッツポーズもあれば、葬儀場で遺灰をつかみ、母親と共に喪われた息子を悼んで、泣き叫ぶこともあったのです。その中から「何が彼をそこまで駆り立てるのか」という片鱗を、見たような気がします。 そして、この世界で活動する者の苦悩・絶望、周囲から理解されない困難な現実をも。 大宮のソニックシティは笑いと、静かに溢れる涙で一杯でした。先生は講演後、満場の拍手鳴り止まぬ中、深く頭を下げられて退出されました。 <いのち・燃やす> これが、「夜回り先生」こと、水谷先生です。ご自身もガンに冒され、既に転移が激しく死を覚悟した中での、渾身の講演でした。まさに残りの命を燃やし尽くすように、私たち聴衆一人ひとりの胸に、たくさんの想いを刻みつけていかれました。 それはまさに、2,000年前に荒野で教えを宣べ伝えた、ヨハネの姿。 現代日本の荒れ果てた地で、私たち大人に「悔い改めなさい」「道をまっすぐにしなさい」と叫ぶ、生命の炎です。周囲から尊敬と怪異の目で見られ、時に誤解されながらも真理を説き続ける、荒野で叫ぶ声です。 <ごとう お前はどうだ> キリストの教えを本当に信じて、行なうなら。 お前にもできるはずだ。背負えるはずだ。 いま苦しむ方たちと、一緒に歩めるはずだ。 彼も身ひとつでこれまでやってきた。カウンセラー、心理療法士、そんな資格や組織に頼らずに、信念と行動で大きな成果を上げている。 それが分ったのなら、後は「やるか」「やらないか」だけだ。 これまでの自分の怠慢が身に沁みるとともに、がむしゃらにでも前に一歩踏み出す勇気をくれた講演でした。 P.S. 語れば語るほど、陳腐に聞こえてしまう。だから興味を持たれた読者の方、ぜひ「遅すぎた」という前に、先生の講演に行かれることをお勧めします。又聞きで批判・賛美するのでなしに、ご自身で聞かれ、ご自身で判断されますように。 スポンサーサイト
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