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後藤 秀孝
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JAPAN
今日は漢字の勉強
2007-09-22 Sat 18:07
私たちが普段、ネット/新聞/テレビ/学校/職場/家庭で、身近に触れている漢字。

それが、キリストの教えと一体何の関係があるって…?
日出ずる国、日本にとって、イスラエル発ヨーロッパ文明の一部であるキリスト教が、どう関係あるって…?

そう仰るあなたは正しい。
そこで今日は、少し視点を変えて、漢字を見つめ直して見ましょう。
つまり、三省堂漢和辞典 第三版(1981)で、部首から漢字を検索してみるのです。

イエスキリストに関係のある部首

ネ(元は「示」、神聖・人以上を示す)
羊(神の子羊(Lamb of God)=イエスキリストのこと)
十(十字架)

これら上記の部首がつく漢字で、皆さんどんな物を思い浮かべるでしょうか。ちょっと考えてみましょう。

(5分後)
もういいですか。早いね。料理番組みたいだ。

<漢字 Upclose Personal>
ではまず「ネ」偏から。

ネ偏の代表的な漢字は、もちろん「神」です。
先ほどの説明でも、もともと「ネ」=「示」と言ったとおり。神とは、私たちに「道を示せる方」です。神は私たちをよく「視て」います。これは辞書に「注意してみる/気をつけて見る/教える」という意味があるとおり、超多忙な神さまはあなたの今いる状況を、その中であなたがどう受け止め、判断し、行動するかを、しっかりと見られています。
神に「祈」ったり、「禅(=黙想)」をするのは、素晴らしいことです。祈るの右側、「斤」の字には「重量」の意味がありますが、まず神に重きをおいて、「単」つまりこころを一つにして、神の意思を追うことができるようになりますから。
そうすることで、人は祐、神の「右」側につかれている方から「救い」を受けることができるのです。
その救いは、天国におけるものだけではありません。この世でも必ず「福」「祉(=幸せ)」が得られます。

反面、神に逆らって生きる人には、一体どんな「禍(わざわい)」があるでしょうか。神を知りつつも「過ち」を犯すことは、すなわち「禍」となって私たちに降りかかるのです。


次に、「羊」偏です。
神の子羊を「差して(指差す、指定する/決める、目差す/志す)」生きると、主の教えとこの世の教えの「差」も本当に明確になります。これまで何気なく触れていたもの、行なってきたことが、突然空しく、価値のない物のように思えることもしばしばです。羊を「着て」、つまり「Jesus Inside」、主イエスに従って生きれば、「善(正しく、立派で優れた行ない)」「養(主が手を広げて、良いもので満ち溢れさせてくれる)」といった、私たちが渇望して止まないものが、実は自然に手に入るのです。
また、自分を「美しく」したいというあなた、朗報です。「羊」を「大きくする」、つまり、自分自身の見栄やエゴを小さくして、主イエスを大きくすることで、あなたは「美しく」なれるのですから。また、「義」というのも「羊」を「我」の上に掲げれば、正義と真理は自ずと自分のものになる、ということです。

反面、主イエスをないがしろにして、偶像(富や名誉、権力など含む)を崇拝すると、人はどうなるのでしょう。
聖書の中の事例では、「羊」の変わりに「丑(牛、つまり雨と豊穣をもたらすと言われたバール)」を立てると、それは「羞(はずかしめ)」となり、主を二の次にしてこの世の栄光を追えば、「羨」、つまり他人を羨んだり、嫉妬したりするようになります。

ですから私たちは、この世の移ろい易い栄華に目を奪われることなく、神の子羊を立てて、信仰の道を歩みましょう。

最後に、「十」偏。
神の「十字架」をその「目」で仰ぎ見るとき。あなたは等身大の自分と、ありのままのこの世を、愛することができるようになります。そして同時に、この世の障害や敵意の矢から、力強い盾で護られるようになります。それが「直」ということです。
ひとたび主に従うことを決意したあなた。「十字架」の元に具え(=備え)ましょう。そうすれば、主が「真」の武具を惜しむことなく与えてくださいます。そんな神の戦士たちが「力」を合わせ、「十字架」のもとに「協力」すれば、どんな困難な戦いをも制することができます。
そして、「十字架」を「思う」人々には。
常にその御手の「恵」が、ふりそそぐことを、私たちは知っています。

いかがですか。
私たちが普段、何気なく使っている漢字。それがどれほど、キリストの教えと関係深いものなのか…。
キリストの教えが、日本人の生活にどれほど深く根ざしているか…。
私にとっても、そう感じざるを得ない一幕でした。

皆さんもぜひ一度、身の回りの言葉を調べて、神の意思を再確認してみてくださいね。


<続き…の続きを読む>

「花の慶次」の中に、同じく「義」について解説がありました。それは、「我」を「美しゅうする」というものです。自分の生も、死も、美しくすること…。
その精神は、尊いものです。しかし、その精神を持ち続けていることが逆に、まじめな仕事人間を極限まで追い込んでしまい…。「責任取れそうもないんで、遠慮」「もう私には無理だから、辞任」「人生めちゃくちゃなんで、自殺」「迷惑かけるのヤダから、孤独死」という結論に、人を導くとしたら…。

それは違う。

だから、「我」を引っ込めて、「羊」を掲げてみませんか。
「私ナンバーワン」を一旦休止してみて、今この瞬間も、あなたがハートを開くのを忍耐強く待って下さっている、主イエスキリストに、寄り頼んでみませんか…。

十字架を負って
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