後藤 秀孝
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困難に向かうとき
2007-09-07 Fri 11:10
人生の挫折…。どんな成功者も、オリンピックの金メダリストも、世界的に有名な演出家も、必ず一敗地にまみれる瞬間があります。失敗し、追い越され、判断を誤り、騙され、貶められ、蔑まれるときが。
周囲でおべっかを遣っていた人びと。耳に心地よい言葉を投げかけてくれた取り巻き。彼らが背を向けるとき。
親友にすら誤解され、見放され、独り暗やみに膝を抱えるときが、あります。

その点では、人類みな兄弟。例外は残念ながらありません。どんなに素晴らしい人間であっても、晴れの日ばかりではないのです。
「何も悪いことしてないのに、どうして俺ばっかり、こんなひどい目に遭うんだろう?」
「あんなにいい人が、どうしてこんな目に遭わなければいけないの…?」
そんな人生の疑問にぶつかることも、長く生きていると、多いはずです。

そんなとき、どう理解したら良いんでしょう。
泣きながらこんな質問をぶつけられたとき、どう答えたら良いんでしょう。
人生の意味。今、私たちがここに生きている意味…。

そう。この世には、満足の行く答えはありませんね。
「それが人生さ」という、乾いた返事があるばかりです。

<代打、ジョージ・フォアマン>
ここで少し、私の(まだ生存中の)英雄についてお話します。ジョージ・フォアマンといえば、ボクシングの元ヘビー級チャンピオンとしてだけでなく、アメリカのスーパーで彼のブランドで売られているBBQセットや、TV出演などで有名な方。彼がその長いプロのキャリアを振り返って、「最良のとき」と呼ぶのが、1974年、アフリカでカシアス・クレイ――「モハメド・アリ」の名でその頃スターダムにのし上がった、Big Mouth――と対戦し、敗北したときです。

その頃の最高額のマッチで、500万ドル(現在の2億5千万に相当)のファイトマネーを、試合の結果として手に入れた訳ですが、「ちっとも嬉しくね~…」という心理状況だったそうです。だって負けたんだもん。

しかし、後々振り返ってみると、それが神さまの計画の一部(はじめの一歩)だった…。と気付かされました。
その後の彼の人生は、低空飛行を続けます。アリ戦の後、5試合連続で勝利を納め、再度ベルトに手が届く位置に来たとき。ジミー・ヤング選手を早期KOできたにもかかわらず、ドン・キングに「試合が長引けば広告収入が増えるから、頼むよ」とそそのかされ、息を吹き返したジミーに判定で敗れる、という体たらくを演じてしまったのです。
私生活でも問題がおきました。彼の資産アドバイザーたちは、彼の無知をいいことに好き放題食い物にし、彼の家や車、財産を毟り取っていったのです。アリ戦の一敗から始まって、ある意味天から地へ転げ落ちた、典型的な例。
しかしなお、彼はそれを「最良のとき」と呼ぶのです。

なぜでしょうか?

それは彼の自伝的著作「God in my corner(神が私のセコンド)」の中で語られています。
後にキリストイエスと邂逅したとき、彼の教えと、愛がすとんと心に入ったのは、挫折し、人生の辛酸を舐めて謙虚にされたからだと。

その後の彼の人生は一変します。これまで憎しみに溢れ、敵ばかりだった人生が、謙虚さと愛を受け入れてから、友人に囲まれ、満ち足りたものに変わり。
44歳という年齢で、再びヘビー級王者へと返り咲いた歴史的な勝利、貧しい若者向けにボクシングセンターを始めるなど社会的な貢献、そして、テキサスのヒューストンで牧師として教えているのも、アリに破れたあの日があったからこそ…。彼は、人生の節目節目が、違った角度から見えるようになったのです。

キリストに遭うことは、まさに、人生を投げ打ってでも惜しくないほどの、素晴らしいもの。
なぜなら、神に投げ打った人生は、必ず豊かなものとして返ってくるからです。

<困難に向かうとき――聖書が教えていること>
上記ジョージの例でも明らかですが、あなたの人生で「ど~なってるの~」という事態が起きたときは、実は神さまがあなたに「気付き」を与えようとしている時かもしれません。

それはつまり、あなたが
①人生の意味を再確認
②誤った道から方向修正
③失った物より、更に素晴らしい宝を入手
できるように、神さまが導こうとしているからです。

それは聖書にこう書かれている通り。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。<中略>…神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう(ローマ8:28~32)。」
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした(創世記50:20)。」

神に従うことを選んでも、困難は来ます。泣きたいとき、あります。
しかし、憤って、恨んで、嘆いて、呑んだくれてしまうような経験をすら、神はあなたのためになる、最良のものに換えてくださいます。
私たちが困難にあって希望を捨てないのは、その一事に確信を持っているからです。

私は宗教を伝えようとしているわけではありません。
しかしこの世界で、あなたがどんな境遇にいようと。
あなたのことを心配して、気遣ってくれている神さまがいることを、伝えたいのです。

そして、神がその特別な、あなただけの触れ方で、あなたの道を示し、あなたが誰であるのか教え、あなたの傷を癒そうとしているとき。
あなたのこころを堅くしないで、「お願いできますか…?」と尋ねてみて下さい。

神はその一言を、今も待っているからです。

あなたも「お願いしますッ!!」と言えましたか…?
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この記事のコメント
#200 管理人のみ閲覧できます
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2007-09-07 Fri 13:17 | | #[ 内容変更] | top↑
#201 そうなんです
Tさん、コメント感謝です。

幸せのちから、見ましたよ。しがないセールスマン、ウィル・スミスとその子どもの話ですね。邦題「Pursuit of Happiness」と言うフレーズを使い、役中のウィルがこう語っていました。

「アダム・スミスが米独立宣言の中で、我々の基本的人権として挙げた、生命、自由、そして幸せの追求。
そこがミソなのだが、私に与えられているのは『幸せになる権利』ではなく、『幸せを追求する権利』のみ、なのだろうか。」

多くの人が迷いでて、幸せを探して歩いています。この世が与えてくれる物で、幸せ感を味わえそうな物を、捜し回ります。しかし、こころの穴は埋まりません。ますます大きくなるばかりです。

どんなに素晴らしいものを手に入れようと、それを喜び、感謝するこころがなければ。ウィルは人生のどん底で、その幸せの鍵を、確かに自分のものにしたのかもしれません。

貧しい中にも、富の中にも、幸福を見出せるように。
主よ、私たちを導いてください。

ごとう ひでたか 拝

P.S.煙草はやめとこう。俺も酒を断った。君にも必ずできる
2007-09-11 Tue 00:27 | URL | ごとう ひでたか #-[ 内容変更] | top↑
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