後藤 秀孝
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あなたの霊の感受性
2007-08-23 Thu 21:14
(と言っても霊感の話をしているのではありません。あしからず。)

聖書を通じて神が与えてくれている「知恵」の探求を、山登りに例えてみましょう。

ある人は、新緑に溢れる山に登って「ああ、何て素晴らしい自然だ…。」と感嘆します。チャンチャン。

反面、それが例えば、山菜摘みの達人だったら。
ロッククライミングのエキスパートだったら。
地質学者だったら。
詩人だったら。
釣り人だったら。
自衛隊の山岳部隊の人だったら。


同じ山に見いだす物は、全く違う物かもしれません。

山菜摘みの達人は「これは食える、あれは毒だ、あれは傷薬に使える」という理解を得るでしょうし。
クライマーは「あの南壁を制覇するには、ロープOOmtとアンカー、カラビナ…が必要だろう」と結論するかもしれません。
地質学者は「この地層は何年の火山噴火によるもので、断層が浸食なく保存されている」といった見解を得るでしょう。

詩人ならば自然の美しさを謳い上げる詩が。
釣り人ならば渓相や、それに適した仕掛けが。
部隊所属の方には取水の利便、アンブッシュポイント、罠…そんな物が頭をよぎるかも知れません。

同じ山を見ていても、その人の知恵と感受性によって、得られるものは全く異なるのです。


聖書の読解も同じ。

読み方を変えることで、理解を深めることもできるでしょう。比較や、集約・カテゴリ化、ある登場人物へのフォーカス、ある単語へのフォーカスなど…。

それと共に、私たちの人生における経験値、他人の立場に身を置き、想いを馳せる能力・感受性が、すなわち「同じ聖書を読んで、全く違うレベルの理解に辿り着く」理由と言えるかもしれません。

つまり、聖書の中の登場人物が経験した物事を、彼の霊に同調し、時代・距離を超えて感じる能力…ちょっと難しいですが、それが聖書の理解度を分けるのでしょう。ある人が何べん通読しようと、その深奥に触れない限り、聖書は「とおい昔の感動物語」にしかならないのです。

<その感受性を養うためにも>
あなたが今、どんな苦しい目に遭っていようと。
悩み、目標を見失い、さまよい歩いていようと。
暗やみの中で、希望が見えなかろうと。

それをあなたの感受性の肥やしとしなさい。
それを喜んで、感謝しなさい。

なぜなら、こうした「魂を打ち砕くような」経験こそが、人を謙虚にし。
へりくだったあなたの謙虚さは、あなたの耳を開いて、神の声を聴かせてくれるからです。

「今の時の軽い艱難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです(IIコリント4:16~18)。」

あなたの苦しみも、悩みも、涙も傷も恨みも…。
全て良いものに変えてくださる、主に出会うために。

聖書、読んでみましょう!

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