後藤 秀孝
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JAPAN
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トニーのはなし
2007-08-11 Sat 22:36
2007年8月5日のことです。きっかけは妻の「中国語」でした。

「みんなの教会(People’s Church AG)」朝の礼拝の後、見知らぬスリランカ人夫妻が私たちの元へやってきました。「あなたがた、中国の方?」と聞かれ、ごとうは違うがリンダはそうだ、と応えると、何やらむにゃむにゃお願いがあるそうです。

どうやら、ス女性の持ち家で中華レストランを経営する、マレーシア人シェフが、最近元気ないの。だから「神はいるのだ!」というメッセージを伝えようとしたが、彼は英語ができないため、全然通じませんでした。あなた、通訳してくれない?と言うのです。
最初は渋る妻。しかし最後には、「これもお導き」と頷きました。12:30分に、そのレストラン「中華海鮮88」で落ち合うことに。

さてレストランで。時すでに12:30を回り、12:50、13:00…と過ぎていきます。ごとうの隊はすでに飯完了。皿に残った最後のパパイヤ一切れを見つめながら、「まぁ、そろそろ帰ろうか…」などと言っていたのです。

そのとき、入り口付近にたくさんの人影が現れました。あ、教会であったス女性の家族です!息子、娘含む大家族が、今やってきました。もちろん、「遅れてごめんなさ~い」などとは言いません。むしろ「あなたたち、いたの!!」という感じです。

そして、その直後に問題の「マレーシア人シェフ(アルちゃん、としておきましょう。アルコールのアル)」が入ってきました。88のマネージャーである、イーウェン(イーさん)と、「あれ双子」というほどそっくりさんです。

ス女性は、「あら、アル!いい所に来たわね!お友達を紹介するわ!」「こちらリンダ。こちらアル。よろしくね。」と言ってから「じゃあ、後は任せたわ。」とさっさと行ってしまいました。

(話違くね?)

<それから4時間後>
88の角卓、店の関係者のためのテーブルで。ごとう、リンダとアル、トニーという中国から来た方、時折イーさん、そして途中で博打に去っていったおっちゃん。

時に頭をつき合わせ、時に笑い、時に言葉につまり、時に激しながら、アルはビールを飲み続け、話し続けました。要所要所で、妻の軌道修正が入るも、お酒の匂いと次第に座ってくる目で、私の目にはどうなることか、と危ぶまれました。

その頃トニーは言葉数少なく、時に頷き、時に他のテーブルに目を配りながら、それでも大人しく話を聞いていました。イーさんはその頃別卓で、他のマレーシア人仲間との話に盛り上がっています。

そしてレストランの夜の部が始まるため、アルが席を立つと、とりあえず一度お開きになりました。じゃあ俺らもそろそろ、と言って立ち上がると、トニーがついて来ます。どうやら、話の序盤で妻が「夜の礼拝は5時半からよ。行く?」といった言葉を受けて、フルマラソン級の話し合いの後も、「いってみよ」というやる気を保っていたようです。

そこで私たちは一度、タクシーで自宅に戻り、中国語(マンダリン)の聖書(妻が日本で友人からもらい、なぜかスに持参したもの)を、トニーにあげました。それから教会に直行です。

教会では、サムという台湾人青年とも出会い、「なんて濃厚な中国語の一日だ」と半分げんなり賛美していると、妻が「じゃあ晩御飯、どうしましょうか?」と言ってくれました。中国語の沼に首まではまった形です。主は生きておられる。皆住む場所が異なるため、どこへ行くか良いアイディアもなく、うだうだ歩いていると、トニー改心の一発。「88?」また、私たちが4時間のバトルを繰り広げた現場に舞い戻ると、仰るのですか。

私たちが88のドアをくぐると、案の定、ウェイターたちが「あらお帰り」と言うような目で見ています。イーさんも途中からテーブルに参加。サムも参戦して、キリスト&中国語一色の卓になりました。

異邦人であるごとうには、その日中華海鮮88で執り行われた奇跡が、後に妻から説明があるまで、全く分かっていなかったのです。

<あまりに多くのことが起きたため、各部分ダイジェストでお届けします>


アルのはなし:
「俺には学もねぇしよ。」「最悪の家庭だった。早く出たかったんだ」と、子どもの頃の不遇を思い起こし、酒とタバコで紛らわす。そんな生活を続けてきました。しかしよく見ると、彼はいい手をしていました。長年調理場に立っているだけあって、鍋を握る指は太く、あかぎれと火傷の痕がいたるところに見えます。まじめで、働き者のいい手です。

そんな彼は、教会に行ったこと、またキリスト教への憧れもあり「どうしたらこいつらみたいに幸せそうな面になれるんだ?」という質問を繰り返していたそうです。そうして「俺も聖くなろう、神さまの愛にふさわしい人間になろう、と努力したけどダメだった」と言うのです。どんなに頑張っても到底届くとは思えず、あきらめて神に背を向けてしまったと。

この話に触れたとき、それまで軽快だった彼の口調が、たびたび詰まりました。もどかしさの奥から、何かが確かに、迸り出ようとしていました。彼の中の「ダメなんだよぅ」「できっこない」「俺にゃ向いてねぇ」という抵抗にまして、「どうしたら成れるんだい」「理解できたら良いんだけどさ」「俺も、救われたい…」という想いが、噴出しそうになっているのを見ました。

会話の最後に、こうした彼の内部闘争を見取った私は、こう言いました。「おかしいと思われるかも知れないが、あなたには会話のギフトがあると思う。もし主に従って、今抱えている問題を解決しさえすれば、あなたは同様の悩みで苦しんでいる人々へ、主の福音を伝える運びの器になれるよ。」

(だから、キリストへ帰っておいで。)

すると彼は再び、「いや、俺は家族の愛すら知らないし、第一学がねぇから無理だって…」と口ごもりましたが。それは「そんなことありえねぇべ…?」と思いつつも、彼の心に主のみことばの種が蒔かれた瞬間でした。

トニーのはなし:
中国から来た、という触れ込みでしたが、良く聞いてみるとUNHCR(国連難民高等弁務官)認定の難民の方でした。中国政府から良く思われず、中国を出てスリランカに渡りすでに8年になります。パスポートを中国政府に拘束され、スから出国することもできません。家族はみんな中国在住なので、時折かける電話が最後のコミュニケーション手段です。

友だちも多くありません。なぜならスにいてすら、中国人や政府関係者に見つかると、いつ密告されて危険な目に遭うかわからない。そんな恐怖から、自国の民でなくマレーシア人たちと付き合っているのです。

彼は国外撤退しスに来た時代の、中国の状況を話してくれました。
当時、聖書の持ち込みは禁止。国際新聞もダメだったそうです。空港で見つかると、問答無用で没収。そんな中、職業柄よく海外に出ていた彼は、その隙に御言葉に触れるようにしていたそうです。しかし故郷に戻れば、教会も、共に話せる仲間も、学びの機会もありませんでした。

キリストの道に歩むため、出国したのではありません。あくまでも自分の身の安全のためです。しかし主への祈りは強くなるばかりで、ある時はカトリック教会の前に立ち尽くしていたそうですが、生憎誰も声をかけては来ませんでした。

そうこうしている内に、8年の月日が流れたのです。

そんなある日、おかしなカップルが88にやってきました。
どうやらキ印の人たちみたいでした。

イーさんとトニーのはなし:
中国人との付き合いを避けたいトニーが、唯一親友として付き合っているイーさん。実はこの二人、私たちが来る前に「どっかいい教会ねぇか」という話を、再三していたそうです。
しかし、二人とも英語がどうも苦手で…。と尻込みしていたところ。そこへ彷徨えるキ印カップルが、延々4時間もキリストについて話し込んで行ったものですから、彼らもおかしな偶然を感じました。

イーさんは休憩時間中、アルVs.リンダのテーブルから離れて、他のマレーシア人たちと談話していました。と思ったら、別卓でもキリストの話に花が咲いたそうです。

というか、イーさん一人で盛り上がりすぎ。
周囲にいたのは、若い方ばかり。彼らは半分ジョーク…?、半分うんざり、という感じでもって、イーさんの話を聞いていたそうです。

そして、夜の繁忙期が来て、皆仕事で忙しくしているときに。
キ印のカップルが再び、88に現れました。
トニーとなぜかもう一人、アジア系男性を連れて。

彼らはすみやかに飯を喰い。
そして再び、キ印な会話に没頭していました。しかもデザートのパパイヤ、お替りを要求しています。
イーさんも途中でテーブルに着いてしまい、このクソ忙しいのに!と睨むランカ人スタッフを尻目に、キ印な会話に参戦(マンダリン語テーブルで、再びごとうが取り残されています。)そうして、トニーとイーさん、次週の日曜礼拝に「二人して行ってみよ」と決めたのでした。

マレーシア人青年団のはなし:
そのとき、なぜかマレーシア人若者隊が、再び晩飯を食いに88に来、隅のテーブルに陣取りました(お前ら他に行くとこないのかよ…。でも人のこと言えんトホホ)。

後から聞いた話ですが、イーさんが彼らのところに挨拶に行くと、ちょっとヤンキーっぽいお姉ちゃんが「ねぇ、皆で話してたんだけどさ、さっきのキリストの話、もう一度してくんないかなぁ?」と訪ねてきたそうです。

キ印カップルのはなし:
こうして、長きに渡るマンダリンな一日が終わりました。
帰り道で、妻がとつとつと、上記のような奇跡に触れて、話していきます。

神はこんな風にして、リバイバルの炎の広がりを、その凄まじい圧力を、私たちに垣間見させてくださいました。何気なく頼まれたミッションを果たそうと、辿りついた中華料理屋で。そこで立ち働く人びとの心に、救いを求める欲求をさえ、神は備えてくださるのです。

日本で行なう伝道。
そのテーマに向かい、悶々としていた私にとって、目が開かれる想いの一日でした。
臆病で、尻込みしがちな私に、神が「語れば、響かん」という実例を示してくださった、大いなる日でした。

マンダリンながらも、その御手のわざに感謝します。



<トニーのはなし…の続き…の続きを読む>

晩飯後の会話の中で、イーさんが訪ねた質問。
「なぜ私たちは生きるのか。」
非常に真摯で、よい質問だと思います。

その答えは、今の段階では正直分りません。
しかしこの奇跡の一日を振り返って、私は想うのです。

「ごとうが日本でキリストに親しんだのも、パキスタン・スリランカと渡ってきたのも。
全てはトニーやイーさんといった人びとに会い、聖書を渡し、みことばを伝えるためだったのかもしれない。」

そうです。
トニーが、イーさんが更に多くの人々に、福音を伝える宣教師として、神の戦士として生まれ変わるために、用いられた小さな灯火。私たちの人生は、その一事に集約されているのかもしれない。(またはアル。)

ならば、私たちの遠大な遠回りも、意味があるのかも…。

そんなことを想いながら、家路で神に感謝なのでした。

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
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この記事のコメント
#182
ごとうさん、こんにちは!
リンクありがとうございます!私もリンクさせていただきました。
ちょっと、今、実家に帰るところなので、また、ゆっくりお話し致します!
2007-08-12 Sun 13:31 | URL | けろちゃん #4/RyNrTc[ 内容変更] | top↑
そういわれてみれば、今夏休み・お盆ですよね~。

夏か…。常夏のスリランカでは実感ありません。休みもありません~。…気を取り直し、親には電話しようと思います。

それでは楽しい夏休みを。

ごとう ひでたか 拝
2007-08-15 Wed 21:57 | URL | ごとう ひでたか #-[ 内容変更] | top↑
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