2007-07-30 Mon 10:49
何か新しいことを始めようと思うとき。人間、不安はつきものです。 NGOの仕事もそう。その不安を緩和するために、事前に念入りに計画します。 「ログフレーム作成*」「事業コンセプト立案」「事業計画」「公開入札」「三社見積り取得」「予算設計」「為替変動・インフレ予測」「保険加入」「外注にてリスクヘッジ」…。 そして、こうして計画された事業計画に沿うよう、慎重に実施していきます。 予算に限度があるので、それによって事業期間、派遣できる国際スタッフ数、出張回数、雇用できる人数、車両数、配布可能物資量、受益対象村/者数…全てのパラメータが変動してきます。 その事業計画を実施するに当たっても、時間経過に伴う状況の変化、予想外の遅延・出費・事故などがあるので、常にその<限度>との戦いです。自分たちでカバーしきれない専門分野・地域・対象者などに関しては、政府機関・国連や他の団体と調整・協力します。大きな「全体計画」の中で、互いに補完しあいながら事業を進めていくわけですね。 このようにして、「私たちの選択はベストなのか?」という究極の問いに対する答えに、正当性を与えます。対外的にも納得のいく説明ができ、「正しいことを、正しいやり方でやっています」と自信を持って言えるように。そうやって「怖れ」をコントロールするのです。抑止するのです。 反面、神の仕事はどうでしょう。 「反面、」という言い方で始めてしまいましたが、共通点も多くあります。ここで、旧約ネヘミヤ書を少し参照しますと、ネヘミヤが故郷エルサレムより逃げてきた同胞から、その状況を聞いたとき。彼はその惨状に嘆いて、喪に服し、さらに断食して神に祈りました。 そんなある日、献酌官(本来酒の毒見ではありますが、王との距離・親密感や、その献身から政治顧問的な役割りを果たす)としての本業で、王に杯を差し上げたとき、ネヘミヤに元気がないのを見取った王が「どうしたのか」と尋ねたのです。 『…私はひどく恐れて、王に言った。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」 すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、 王に答えた。「王さま、もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」 王は私に言った。――王妃もそばに座っていた。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻ってくるのか。」私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。 それで、私は王に言った。「もしも、王様がよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜わり、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください。 また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜わり、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私がはいる家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。」私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。 私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた(ネヘミヤ記2:3~9)。』 ここで言いたいのは、「祈りの重要性」ということと同時に、「準備/計画の重要性」についてです。 実に、ネヘミヤの祈りはキスレウの月(12月)からニサンの月(4月)まで続きました。その間、彼は同時に「事業計画」を立て始め…神がアルタシャスタ王に働きかけて、ネヘミヤに尋ねさせたとき、彼はすぐに的確な回答が提示できたのです。 そう。成すべきこと、目標達成に必要な物資・人材・許可・期間などをしっかりと把握している人間なら、他の人々から支持を得ることは難しくありません。それはNGOの仕事柄、学ばされるところが大きかったですね。 全ては神によってなります。正しい。 話すべきことも、必要な指示も、聖霊によって与えられます。正しい。 そして、聖霊を通じ与えられた計画を咀嚼して、いつでも世に示せるように準備しておくのが、私たちの役目です。それは、私たちの宿題であり、私たちの担当分野です。 神さまは、あなたのドアをノックする「チャンス」も全て手配済みです。 その計画の中には、あなたの成功も、失敗も、失敗からの教訓も、その教訓の上に立つ成功も。全て記されていますよ。そして、全ての困難は最後に益にかわり、あなたの人生に喜びと平安が溢れることも。 だから怖れないで。 「In Lord Jesus Christ, you can, and you will(主にあって、あなたには、できる。そして、あなたはそれを達成する。)」 もう一点。 ただ「できたらいいな~」という Day Dreaming状態では、「怖れ」は湧いてきません。 「怖れ」がくるのは、少なくともあなたが「やってみよう」と思っているからです。真剣に計画の妥当性を検討し、取り組もうとしているから、「怖れ」が来るのだと思います。そこで心配したり、震えたり、不安に思うのは、人間として当たり前です。 キリストの従者としての特権は、「怖れ」が出たときでも、そこで神により頼んで「Fear Not」「神が私と共にいてくださる」と信じることができる点ですね。 あなたも「イエス!」と言えましたか…? 言えた方は押してくださいね♪↓ |
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#164 こんにちは
ほんとにほんとにその通りですね。
神さまは神さまの分野を担当され、私たちは私たちの分野を担当する。そして、主にあって私たちにはどんなこともできるというみことばを握りしめて進む時、本当に不思議な道が開かれるのですね。NGOの働きが祝福されますように~。 #167 辛いとき、あります
Mさん。再訪&コメント感謝です。
Mさんは営業さん(保険外交員さん?)かな。私も営業してましたので、月末圧力は少しですが理解できます。そして、会社の掲げる理想・大義名分と、現実の業務がなかなか噛み合わないことも…。 そう、問題も、困難もあります。辛い時、泣きたい時、あります。 でも私は、営業職は実りある職業と思っています。人とのつながりであり、相互理解に導く話し合いであり。そして、人生の喜怒哀楽を、思いっきり味あわされることですね。そんな、時に苦しい業務だからこそ、自分の弱さと共に主の恵みが理解できるのでしょう。 今の艱難はどうあれ。主が共に歩んで、道を切り拓き、Mさんに耐えられる力も、脱出の道も備えてくださいますから。安心して。 そして、苦しみから得られた教訓はきっと、Mさんの強さと、他人を思いやれる優しさとなって、返ってきますよ。全てはあなたの益となって…。 だから逆に、傷つきやすくて苦しくても、今の優しい自分を決して忘れないでください。神さまは、そんなMさんだからこそ、信頼し、愛して、更に大きな役割りのための準備をさせてくださっているんですから。 長くなりました。またお暇でしたら、いつでも遊びに来てくださいね。待っています。 ごとう ひでたか 拝 #168 じゅにくにさん。再訪&コメント感謝です
ご来訪ありがとうございます。
ネヘミヤは私の好きな章節です。 彼が崩れ落ちた故郷の有様を嘆き、祈りの中長い期間悶々とした生活を送っていたことも。 彼が孤独の中で悩み、苦しみ、指導者として難しい決断を常に迫られながら、信仰によって苦難を抜けている所も。 彼がその正義と献身で、エルサレム復興の足がかりを作っただけでなく、エズラなどと共に、旧約聖書編纂に偉大な功績を残したこと。しかしポロっと「給料はもらってなかったのさ…」「分かってよそこんとこ…」という弱さを併せ持っていることも。 とても人間らしくて、好きです。 こうした素晴らしい前例に囲まれて、顔を上げて生きられることを感謝します。 ごとう ひでたか 拝 P.S.ギデオンも好きです。 |
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