この前、「神不在の人生は、私たちを『死ぬために生きる』だけの存在にしてしまう。」というお話をしました。
こんなに儚くて、限られた人生の中で、幸せを見いだそうとして努力する私たち。
世界は、そんな「お客さん」のために、様々なモノを用意してくれていますよ…。
「食べるために生きる」人のために、行列ラーメン店・絶品のグルメ・世界の垂涎Cuisine(料理)が。
「楽しむために生きる」人のために、車・娯楽・旅行・映画・ゲーム・音楽・趣味が。
「子どものために生きる」人のために、たまひよ・有名幼稚園・ブランド小学校・高価な教材・塾が。
「好印象のために生きる」人のために、エステ・雑学・ブートキャンプ・お化粧が。
「働くために生きる」人のために、肩書き・ブランド・経営・タスクフォース・昇進が。
「お金のために生きる」人のために、株式市場・Fx・転職サイト・不動産投資が。
「学ぶために生きる」人のために、放送大学・ユーキャン・大学院・けいことまなぶが。
あなたを満足させるべく、手をこまねいて待っています。
テレビCM。インターネット広告。ラジオ。新聞。電車の吊り広告。
<何も、悪いことないじゃない>
確かに。しかし、お気付きでしょうか?
上記に挙げたモノは全て、神がその恵みによって与えてくださっており、私たちはそれを喜ぶことができます。しかし同時に理解しなければならないのは、これらはあなたが「深い満足を得、幸福になるための手段」であって、「目標そのものではない」と言うことです。
例えば。
「子どもをいい学校に入らせる」のは、子どもがまっすぐに成長して、あなたが幸せになるための手段です。
しかし、「超有名校」が正しく、謙虚で素晴らしい人格を創るかというと、そうでもありません。
子どもを超一流校に押し込んで、放課後は強制塾通い。数字として出てくる成績にばかり固執して、叱るばかり。満足な会話の時間もなく、子どもはいつも隠れてゲームしているか、眠そうにしている。いじめられていることを隠して、しばらくは通学していたが、いつしか不登校に…。
極端な例ですが、そうなることの方が、子どもの人生にとりマイナスなのではないでしょうか。
そしてもちろん、親であるあなたにとっても…。
逆に、子どもの健全な人格形成と、幸せな将来を願うなら。
子どもは「親の物」ではなく、「神からの贈り物」であることをしっかりと認識する。
立派な一人の人間として尊重し、親の意思を押し付けない。
適切なアドバイスを与え、子どもの個性・才能を伸ばし、自立を重んじて一人でさせてみる。
家族の絆をしっかりと形成し、愛をもって育て、戒める。
そんな日ごろの努力の方が、「超有名校」に入れるよりもずっと、素晴らしい実を結ぶと思います。
例えば2。
「好印象を得る」のは、周囲の人から認められ、必要とされ、愛されるための手段です。
しかし、表面的な「いいひと」振りにばかり気を取られたり、「ブランド・学歴・博識」といった見栄にこだわったり、外面の「美しさ」ばかりに固執すれば、仮面の下は磨かれないことになるかもしれません。
実はその内面の美しさこそが、私たちが「認められ、求められ、愛される」ための要件なのに…。
そうです。正直さ、謙虚さや寛容などといった美徳は、ビリーズブートキャンプでは到底、身に付かないものだからです。
逆に、内面を磨いてしっかりとした自己を築きたいと願うなら。
神に祈って、自分の中の傷や怒り、過去の恨みを、まず取り除いてもらう。
憤りや嫉妬、報復心に駆られたら、止める。身体を張ってでも止める。同じ過ちを繰り返さない。
他人に対して進んで友愛を示す。まずは自分から心を開いて、相手に接する。
そんな日ごろの努力の方が、「超高級マスカラ」に頼るよりも、あなたが望んだ実を結ぶからです。
<さいごに>
サタンはメディア戦略にも非常に長けているので、私たちが気になる流行や話題で、惹きつけようとしてきます。
それに打ち勝つためにも、私たちは「手段」と「目的」の違いをはっきりと認識して、この世と向き合いましょう。神に聞いて、自分の中に確固たる価値観を築いてさえすれば、一時の流行で流されることも、手段ばかりを追って、目標を疎かにすることも、なくなるからです。
いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。