2007-06-08 Fri 19:05
「思うように行かない、これが人生だ。」「This is life…」と言って、肩をすくめて諦めるのは簡単なことです。人生という教師に遭遇し、横っ面を張り飛ばされて、「人生なんてこんなもんさ…」と自分の痛みを娯楽やTV、恋人や車や酒やインターネットなどで薄めることも可能です。もしくは鉄面皮を身に着けて、どんな状況にも無関心を装い、悲しみも、苦しみも、孤独も涙もあたかも存在しないように、自分の心の奥深くに押し込めることもまた、可能です。世をはかなんで、引きこもる選択もあります(そして毒をネットで吐く。) でもそれって辛いよね。 それって、コルセットでウエストぎゅうぎゅうに締めた状態。 中国の纏足みたいに、無理やり矯正して本来の足の形を変えてしまうこと。 もしくは、おしっこ我慢してる状態。 どれも、身体に良くない。 私たちは本来敏感で、軟らかく、感じやすいのです。他人の表情や、電話越しの声音、そんなものにも気を配ります。だから逆に、友好的な人と出会えば楽しくなり、権威があって忙しい人と出会えば遠慮がちになり、悲観的で不幸な人と出会えば同情し、悲しくなります。 それもこれも、私たちが「理解したい・されたい」「人から認められたい」「愛されたい」と願う当然な欲求の表れであって、個人差はあれど、誰でも持っているものです。それをまず認識することから始めましょう。 あとはその内側から噴出してくる思いを、どう取り扱うかです。それを、マイナス方向でなくプラスのベクトルとして働かせることです。 その為に実は、万人向けの解決法があります。 <あなたも愛されている> 「Life is life, but Life with Lord is a Life renewed.」これが、キリストの愛を知った私たちの答えです。つまり、「人生辛いけど、主が共にいて下さる人生は、新しい人生だ。」ということです。 でも「主が一緒の人生」「新しい人生」って、どんなものでしょう? 主イエス・キリストは、人間が経験するであろう喜怒哀楽、誉れ、蔑み、友情、裏切り、出会い、別離、愛、憎しみ、そうしたものを実にその極限まで、味わいました。だから、あなたが日々晒されている気分の移り変わりや、感情のアップダウンを自身の経験を通じて、自分のことのように感じることができます。 だから、主は私たちから遠く離れた存在ではないんです。キリストはちょうど、あなたの先輩や、あなたの兄のような距離でもって、あなたに接してくれます。 主が共にいてくれれば、あなたがどんな環境にあろうと、どんなに状況が悪く思えても、「私は一人じゃない」と信じることができます。主イエスが共にいてくれれば、たとえ友人から誤解され、否定されようと「私の主は全てご存知だ」と心を強く持つことができます。主が共にいてくだされば、一見不可能なこと、自分には向いてないなと思うようなことでも「信じて行なえば、できる」という姿勢でタックルすることができます。 私たちが人生という教師に虐待されて、失ってしまったもの。 主イエスに信じ、彼と共に歩むことで、私たちは新しい勇気を得ることができます。 新しい目標、新しい活力、新しい思考、新しい姿勢を、身につけることができます。 そんなあなたの元に、相応しい仲間が必ず集まってくるはずです。 ダビデとヨナタンのように、これまでにない深い友情や、人生を変える出会い、かけがえのない師が。そして、彼らと共に追いかける、生涯をかけるに値する目標が…。 それら全てが、つまり「主が一緒の人生」「新しい人生」ということです。 <だから、今> もしあなたが今、信じられるものが無くて。傷ついて、血を流していて。何をすべきか、分からなくて。人と話しても、表面だけの会話や、世間話に終始してしまっているとしたら。 一度、基本に帰って、神さまに聞いてみませんか。 あなたが本当は誰なのか、何をすべきなのか。 主はいつでも、あなたのそばにいて、あなたの祈りに耳をかたむけてくださっているからです。 いつも応援感謝しています。 あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ 愛と平安を見いだすことができますように。 |
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