後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | top↑
<My Grace is sufficient for you>
2007-05-18 Fri 21:43
…しかし、主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私を覆うために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私はキリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです(IIコリント12:9~10)。

上記は、パウロさんが自分の負った棘(何かの病か、身体的障害でしょうか)について語った一説です。

「弱い」からこそ、「強い」。
逆説的な論理にて、あなたの目が「?」マークになるのが分かります。

強い人、賢い人、自信に溢れた人は、自分で何でもできる → 何でもしよう→何でもしなきゃ! → 何でも想った通りにならなきゃ!…という「完璧主義」――すなわち「神になりたい病」、「罪」――に陥ってしまうことが多いのです。「投資」「建築」「医療」…その道の専門家ともなれば、学歴・権威・技術用語・独特の言い回しをフル活用して、「自分がいかに優れているか」「自分にはこれを語る資格がある」「だからみんな黙って聞け」とアピールしなければなりません。だからこそ、素人さんに伝わる話し方ができる専門家の方って珍しいですよね。

そんな「自分は偉い」「自分最強」モードで突き進むと、いつか疲れてしまいます。どの業界でも、上には上がいるし、才能に溢れたライバルにその座を脅かされる。そして挙句、理想と現実の隔たりの前に、挫折してしまう。
「自分最高!」から「自分なんて…orz」という反動で、世界を斜めに見る・シニカルになる。つまり、心が冷めてしまう。「人生こんなモン」と、結論してしまう。
人はこうした人生の挫折を経て、「大人になるんだ」と言うかもしれません。でもそこで終わったら、ただため息と諦観が、あなたの感情のバラエティに加わっただけです。強いからこそ、折れ曲がってしまう。強いからこそ、元通りになるのが困難。

<弱さを認めること>
逆に、自分の限界を認めることは、多分に謙虚さが要求されることです。
しかし、自分の弱点を素直に認めて、真摯に「素人なのでよろしく」「迷惑かけたらごめんなさい」「教えてください」「助けてくれませんか」と求める人を、誰が無下に断れるでしょう。謙虚さは、自分一人の不足分を、多くの人材を活用することで補うための、重要項目です。

それが、上記で語られている<「弱い」からこそ、「強い」>パラドックスの、結論の一部なのではないでしょうか。

そしてまた、神さまは謙虚な人間に対して常にオープンです。
ダビデ王の子、ソロモンが即位した時、彼が神さまに願い出た言葉が、それを物語っていますね。

「わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さな子どもで、出入りするすべを知りません。
そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりに多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
善悪を判断してあなたの民を裁くために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか(I列王3:7~)。」

「私ひとりでは無理です。」「教えてください。」「助けてください。」ソロモン王のこの謙虚な姿勢が、主の御心にかなって。ソロモンは神さまから、無双の知恵を与えられるのです。

『あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。』マタイ23:11~12

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
FC2ブログランキング 人気ブログランキング【ブログの殿堂】 人気blogランキング
癒しの祈り



パウロの<My Grace is sufficient for you>のくだりは、私にとってもう一つの意味を持っています。

ある時私は「私には神さまの恵みは十分に与えられています。だから、もっと貧しくて、もっと苦しんでいる人たちに、分け与えてください」と祈りました。

コロンボのゴール通り沿いで、暑い最中喜捨を求めて座り込む老女。地雷によってか、足を失った男性。バスの中で物を売り歩く少年。皆顔には疲労が色濃く、真っ黒に焼けて。くつはあったり無かったり、着衣も着古された汚れ物だけなのです。

それ例外にも、洪水で。津波で。地震で。空爆で。民族紛争で。政府の意向で。食糧難で。水不足で。障害で。
苦しんでいる人が、この世界にどれだけいることでしょう。そんな状況を見かねて、祈ったのが上記です。

それに対して、神さまはこう応えました。
「わたしは、あなたを通じて、彼らに恵みを与えようとしている。」
「それが叶わないのは、あなたがそこで足踏みをしているからではないか。」

私に答えはありませんでした。

どう言っても、「そうなんですよね、神さま…でも~」という言い訳にしかならなくて…。神さま、同じことの繰り返しで申し訳ないのですが、「私を力づけてください…。」
スポンサーサイト
別窓 | Christianityってなんですか | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<<信仰の祈りVer.2> | キリストの愛を 超多忙なあなたに | <ハンバントタの牛たち>>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。