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後藤 秀孝
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JAPAN
<テクノロジーの利用>
2007-05-02 Wed 17:03
現代社会には、コンピューター・ポッドキャスト・テレビの双方向通信(地デジ)・洗練された技術を利用した医療・そうした物が溢れています。CD、DVD、HDD、メモリースティックなどの記憶媒体に、MSワード.docとして数億ページ、いやそれ以上のデータを保存・共有できます。

もし主イエスキリストが現代にいたら、この技術を使ってどうしたでしょう。興味深い質問ではあります。

しかし、疑問もでてきますね。「なぜキリストは、当時の『ハイテク』であった、書物を残さなかったのか」と。書物の力を恐らく十分に、主は理解していたにもかかわらず。現代の聖書に含まれる、主イエス福音書の第一号、マルコの福音書がギリシャ語(当時の「世界共通語」)で書かれたのが、イエスキリストの死後約40年後ですから、当時の弟子たちが、道中で記述して、即出版したものではないのです。

歴史を見れば、主イエスの時代には、エジプトでパピルスの技術が発明されて、既に2,000年以上が経過していた頃。またローマの将軍、後の皇帝になるユリウス・カエサル(シーザー)は、現ドイツの蛮族に追われて発生する、フランスの武装難民(ガリア人)のイタリア侵攻を抑えるべく、フランスに進軍しました。そこで、口述筆記による「ガリア戦記」という詳細と考察に溢れた書を残しています。「読む」「書く」と言うことが、恐らく金持ちの特権ではあったでしょうが、確かに存在した時代です。コーランの作者であるムハンマドのように、なぜ、ご自分の力あることばを、ご自分のことばで、書き残さなかったのか…。

その「なぜ」に対して、ブレインストーミング(会議術:テーマに沿って、思いつくまま、自由意見を書き出す。終わるまで批判はしない)してみました。

① 主イエスは読み書きができなかった
② 弟子たちの中で、読み書きができる者がいなかった(とりまき=貧しい人々が大半)
③ 記述はあったが、失われた
④ 記述はあったが、選考もれした(聖書編集時)
⑤ 弟子たちの理解を深める為に、弟子たちの言葉で書かせるためだった

当時の情勢を鑑みると、①、②は信憑性があるように思われます。しかし、「イザヤ書を渡されたイエスが、『捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために(ルカ4:17~)』と読んだ」ことから、主は文盲ではなかったことが分かります。つまり、①は誤り。そして弟子たちには、漁師や身分の低い者もいましたが、取税人など知識階級も混じっていました。金銭の勘定は筆記能力を要したでしょうから、②も疑わしいのです。

③は、ありそうな話です。当時の有権者であるユダヤ人たちが、パウロの時代にもキリスト教徒迫害のために、様々な陰謀をめぐらしていました。中国の文化大革命のように、関連書物を燃やす「焚書」が行なわれたことは事実でしょう。

④も、その時代・その時代で、聖書から「ヤコブの手紙」が出たり引っ込んだりしていることからもありえます。(マグダラの)マリアの福音書や、その他主要メンバーの主に対する記述が、聖書からは完全に抜けているのも事実です(でもキリスト本人の記述は、さすがに外せんだろう…。)

⑤とすると、やはりご自分の行動で示された模範を見たり、聞いたりした人間が、自分で調査し、自分で神に尋ね、ことばを書き表していく。その行程で、著者自身も、キリストの人生を思い、その目的を理解し、影響を感じること。自身がキリスト者として、力強く、その御ことばを伝達していくこと…。となるでしょうか。

<書くエナジー>
そう、このキリ愛ブログの更新を通して、私が気付かされるのが「書くこと」に要求されるエネルギーの大きさと、そこに注ぎ込まれるエネルギーに比例して高まった「信じる心」です。

「書くこと」は、単なる調査結果の羅列やコピペでは程遠く、論理的な構成、主題を引き立てる例話や章節の選択、表現手法など――それこそ、無限大のバリエーションのなかから、文字一つ、単語一つを組み立てていき、自分のこころの絵を、読者のこころに投影する作業です。その為に、ほんの小さな記事でも調査して裏を取ったり、倦まずに表現の推敲をしたり…。また、表現手法の一つである「朗読 主の福音」には、左脳・目で処理する情報よりも多くの「ニュアンス」を、声を使って吹き込まねばなりません。そうする中で、主イエスのメッセージが、ごとう脳内にも強力に刷り込まれるわけですね。

考えてみれば、書いてきた記事は全て、私個人の信仰告白です。読者の皆さまにとって、どんなメリットがあるのかを中心に据え、「あなた」を主語で書く努力をするのですが、結局ごとうが主イエスへ告る、ラブレターでしかない様子。でも、もし上記⑤が主の意図だったとしたら、「それでいいのだ。」

だから、皆さんにもお願いします。あなたの人生を変え、道を示し、倒れても立たせてくれる主イエス・キリストと、神さまを少しでも感じられるのなら。神さまを受け入れ、主イエスに、そして自分自身にチャンスを与えてみませんか。

その信仰を、神さまの愛を理解する努力とともに、恋文にしたためて日々強め、あなたの「生き方」へと昇華してみませんか。


神さまの慈しみと、真理への気付きは、あなたの周囲に溢れています。
あなたの目が開かれ、あなたの口が福音を語り、あなたの指先が大いなる神の愛を描き出すときは、既に来ているのです。

あなたは「そうだったんだ」と言えましたか…?
言えた方は押してくださいね♪↓
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