後藤 秀孝
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JAPAN
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日本人が「武道」の根底に求めているもの
2007-04-19 Thu 21:07
私が空手を始めたのは17歳の頃、1990年のこと。江東区の町の道場で、週3回通っていました。
なぜ空手か?と言われると、恥ずかしい話ですが、私は中学の頃陸上部で、逃げ足は速かったのです。しかし肩幅が狭く、腕っぷしも細くて、見るからに弱そうな自分に、絶大なるコンプレックスを持っていました。

また、そこそこ悪い男子高だったので、「ケンカに強くなる」ということが不可欠なことのように思えていました。いじめられた時にやり返せるように、またクラスのOOにだけは負けないように、とか。そこで、強くなりたい=空手。今考えると、何とも情けない、下らないモチベーションです。


しかし、その動機は不純でアホでも、色々な面で武道は私を育て、教えてくれました。

単に肉体の鍛錬だけでなく、弱音ばっかりの自分を追い込むこと。特に試合なんていうと、とてつもないプレッシャーです。区大会・都大会など、機会を見つけては先生が「ごとうも出場るよね、試合。」みたいに振られるのを、断ったら何か逃げたみたいで恥ずかしい。というこれまた情けない理由で受けてしまい、強化練習を経て、出場るわけです。

そして、これはスポーツ経験者なら誰でもそうだと思うのですが、一旦「始め!!」てしまえば、つまり開始の笛やゴングが鳴ってしまえば、スイッチ入って凶暴化するのですが、それまで何ともいえない不安と緊張に苛まれるわけです。その始まる前の時間がどれだけ嫌だったことか。

全盛期の戦績をみても、私は決して強くありませんでした。しかし、空手は私に楽しい思い出を与えてくれました。趣味が高じて、米留学時もテコンドーと空手を掛け持ち、たくさんの友人に巡り合いました。また、社会人になってからも、神田の極真舎道場で汗を流し、素晴らしい人たちと一緒に練習に励むことができました。初まりは弱っちい動機でしたが、私も終始一格闘家として、「強くなる」「武道とは」と言うことを自分なりの考え方で追求してきたつもりです。


<一流の武人たち>
そんな武道について、最近面白い記述を読みました。
合気道の達人、塩田先生は生前、弟子から「最強の武道家はどういうものか」と聞かれて、「自分を殺しに来た人間と、友達になれる人」と答えたそうです。

思えば、フルコン空手の極真舎の道場訓も、こう言っていますね。「ひとつ、われわれは」から入る、極真の求める理想の姿です。

一、吾々は心身を練磨し、確固不抜の心技を極めること
一、吾々は武の真髄を極め、機に発し感に敏なること
一、吾々は質実剛健を以って、克己の精神を涵養すること
一、吾々は礼節を重んじ、長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと
一、吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
一、吾々は知性と体力とを向上させ、事に臨んで過たざること
一、吾々は生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること

要約すると、空手修行の目的は、自分の身体と心を鍛えることであり、稽古に打ち込み、集中することで、臨機応変な対応力、どんなことにも動じない心を修得すること。また、他者に対する理解、思いやりと優しさを忘れず、礼儀を重んじること。「自分の強さを誇示したい」という自我(エゴ)を制し、暴力を慎むこと。

神仏と、自然の摂理を知り、その偉大さの前に自分の矮小さを想い、謙虚になること。生涯をかけて、人格の完成を目指して努力すること。ということです。


<武道とイエスキリスト
何か聞いたことあるような…。

そう、主イエスキリストのメッセージです。武の根底に流れ、武道家がその辿り着くべき目標として、日々稽古しているもの…。この全く異なる二つには、しかし驚くべきほど多くの共通点が見られるのです。

武道(精神と肉体の鍛錬)を通じて、私たちが求めているもの。
●何事にも動じない、不動心
●稽古や試合にて、怪我や死をも受け入れる潔さ
●相手を尊敬し、思いやる心。礼、謙虚さ
●自分のエゴ・弱さに克つ、克己心
●そして、「自分の敵を友とする」度量

それは、主イエスキリストに従うことで、私たちが得ようとしているものに酷似しています。
●この世の空しさを知り、執着しない心
●「わたしの願いでなく、あなた(神)のみこころのままをなさってください」と言える、潔さ
●相手を尊重し、彼の立場に立って考える力。泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶこと。
●自分の中にある罪(自我)にうち勝つための力
●そして、「自分の敵を愛し、自分を憎むもののために祈る」度量

これらは全て、この艱難に溢れる世を、立派な一人の人間として、幸せに生きるための知恵です。だからこそ、「武の完成は、愛と信仰をもってなる」と思わされるのです。

<結論>
ですから格闘家、武術家の皆さん。もしあなたが、「強さ」の完成だけでなく、「武」の完成を求めるなら、愛を知りませんか…?全く別の方向から、全く新しい展望は啓けるのですから。

そして愛を知るには、神さまがまず「そのひとり子である、主イエスを与えてくださったほどに、私たちを愛された(ヨハネ3:16)」のを知ることです。

「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。
あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。
あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮蔑する者のために祈りなさい(ルカ6:27~28)。」

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。<中略>
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです(Iヨハネ4:7~8)。」

あなたも「とんだところで護身完成ってか」と言えましたか…?
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