後藤 秀孝
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<Q3. なぜキリストでなければならないのですか。>
2007-04-14 Sat 17:04
仏教、神道、イスラム教、ヒンズー教、そしてキリスト教。宗教の線引きはそれこそ山ほどあります。私も、「神は人を造った。人は宗教を作った。」という言葉が好きで、他宗教を批判し、自分たちは選民(選ばれたエリート)だと言うような一部の人々の浅はかさを、嫌っていました。

また、人間の根底にある「自然やいのちへの感謝」「自分より大きな存在への望み」という意識は、ムスリムであろうと仏教徒であろうと変わりないことから、いつかどの道でも、研鑽していけば到達できるのでは、と考えていた時期もありました。

しかし、そんな私に神さまは言いました。「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と。
万物創造の神さまの目に「高価で貴い」人間に、研鑽して辿り着ける自信は、はっきり言って自分にはありません。ならばそれは、私が自分の努力や成功で得たものではなく、ただ神さまの情けと恵みによって与えられた、無償の愛です。

<世界の「宗教」が伝えること>
「私たち(神々)もあなたたちと似て、ドロドロなのよ」という開き直り型、「こうせよ、ああせよ」「これはするな」という指示出し型、「嘘つきは舌を抜かれる」「罪人は針地獄、炎熱地獄、その他もろもろの地獄へ落とされる」というペナルティー重視型の神々はたくさんいました。しかし、欲とエゴと見栄と弱さに溢れた自分を、「愛している」と言ってくれた神さまに、私はこれまで会ったことがありませんでした。

私はもともと(日本人なら大半が、と思うのですが)葬式仏教の家に生まれ、お盆には仏壇に線香を上げ、クリスマスを祝い、結婚式は神道で。というチャンポンの「慣習」、全く信仰とはかけ離れた「儀式」によって「あぁ、俺って仏教徒かも。」などと考えていたのです。しかし、折にふれ聞くお経など、全く意味が分からないし、分からないものを信じることはできません。お釈迦様のありがたい話の現代語訳も、様々な神々が登場し、挙句「これを説明しても、(人間には)分からない」という結論であったり、やはり「修練によって神の域に達する」という、俗人の私にとっては超ウルトラCが、その信仰の究極目標であったりするのです。また、ギリシヤ神話のように、人間味溢れる神々、と言うコンセプトも、物語として楽しむには良いのですが、「じゃあそれが私の人生の何の役に立つのか」と考えると、雑学+以外に今一つなのです。

それに対して私たちの信仰は、こう言っています。まず①天地創造の神さまが確かに存在し、②その神さまがあなたのことを、誰よりも深く知っており、③その上で、(あなたがこれまでどんな人生を送り、自分自身をどんな人間と思っていようと)愛してくださっている、ということを。

そして、希望など見えない人生の底で、シャワー室で座り込み、泣きながら水に打たれている時も。一人グラスを傾け、窓からの夜の風景に、深くため息をつく時も。夜中に目が覚めて眠れず、体育座りで不安に思いを馳せる時も。神さまはあなたのすぐ傍に立ち、あなたを慰め、手を差し伸べて、再び立ち上がらせてくれる、ということを。

ですから、あなたの信仰の自由を、奪うつもりは全くなく。仏教も神道もイスラムも、必要であれば勉強して、その違いを知った上で、人類が「神」と呼ぶ、愛と恵みに溢れた主の元に、帰って来ればよいのです。

「神が自分の息子を捧げてまで、まず私たちを愛してくださった(Iヨハネ4:19意訳)」から、私たちも他人を愛することができます。ムカつく相手に対しても、少なくとも愛する努力はできます。そうすれば自ずと、不信や疑い、裏切りへの恐怖といった感情も、いつか友情と和、愛にとって変わられることを、私たちは知っています。

だから、「あなたを愛してくださっている」この唯一の神さまを、あなたに知って欲しいのです。

「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、
川を渡るときも、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している(イザヤ43:1~2、4)。」

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛して下さったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです(Iヨハネ4:9~11)。」

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