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後藤 秀孝
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JAPAN
誰でも思う 質問集
2007-04-12 Thu 17:01
注:以下、筆者の私見ですので、読者の方の中には、批判・反対意見もあることと思います。その節はぜひ、ごとうにお声がけしてくださいね。
あなたの真摯な意見が、更に多くの人に、分かり易く、主のメッセージを伝える「声」に、磨きをかけてくれるので、お忙しいところお手数ですが、協力どうぞよろしくお願いします。
ごとう ひでたか 拝

今日から少し連作で、基本的なQ&Aをしてみたいと思います。
これらは、以下のような読者の方に、ぴったりの記事に仕上がっています。
「人並みの生活で、私とりあえず満足してます」
「毎日忙しくて目が回りそう」
宗教に頼るほど、私ゃ落ちぶれちゃいないよ」

あなたが上記のどれかに当てはまったら、ぜひ一度目を通して頂きたい。
宗教」という枠組みの中で、多分に誤解されている主イエスキリストのメッセージが、少しでも明確になればと望んで止みません。では、始めましょう。


<Q1. この時代に、神を信じることが必要でしょうか。>

A1. 現代社会は、とてつもなく広く、込み入った戦場です。その戦況は複雑で、刻一刻と変化し、この世の誰をもってしても、全て把握することはできません。それはまた、荒れた洋上を海図もコンパスもなしに、進むようなものです。

そして、人生には悩みが尽きません。仮に仕事がうまく行っても、家庭には苦味と沈黙がある。世の名誉を受けたとしても、自分の肉体は限界を超えて、立ち行かなくなっている。受験に成功、一流大学に入学が決まっても、生きるに足る目標が見えない。広い新居に移っても、実の両親とは確執があって、一緒に住むことはない。大金が手に入っても、それに伴うべき心の平安は、ますます遠のいている…。

なぜでしょう。なぜこれだ!と思って奮闘して、「登りつめた」「手に入れた」と思っても、その瞬間に抱いていた幸福の幻想が消滅するのでしょう。
なぜ「更に上」「次の高み」ばかりに目が行ってしまい、今ある生への喜びが得られないのでしょう。

<あなたへ示された回答>
その答えを示されて、聖書の中で主イエスはこう言っています。

「だれでも、わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、私のためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう(マタイ16:24~26)。」

上記の文で大切な点は、①「自分を捨て、自分の十字架を負う」、②導いてくださる方、「主に従う」ということ、③「全世界を手に入れるよりも、まことのいのちを得る」ということです。


①ここで言う「自分」とは、エゴであり、自己中心的な考え、自己憐憫や自意識(セルフ・コンシャス)と言った想いです。それが強すぎると、あなたの人生の重しになります。つまり自分を押し付け、他者を理解しようとせず、目標達成には手段を選ばない。プライドや羨望によって自分を上げたり、下げたりし、不安・悲観・嘆きに溢れ、必要以上に自分を責め、他人の陰口に傷ついたり、失敗への恐怖から硬直したりすることです。
そんな重たいくびきを、私たちは多かれ少なかれ、背負って生きています。
そのくびきを、主の十字架と取り替えよう。その重しを、主の生き方から学んで、軽くしよう。自分のためだけでなく、他人、地域、そして社会のため、より崇高な目標のために、「自分」を見失ってしまおう。
すると、何が起こるでしょうか。自分の利を追わずに、ボランティアで中越地震の被災地を訪ね、老人たちを支えている女性はこう言います。「私が助けるべきところですが、逆に助けられ、元気をもらってしまっています。」「彼らの苦しみや、喪失を聞くと、自分の悩みや苦労など、取るに足らないものだなぁ、と気付くのです。」

②冒頭で、海図のない航海の例を話しました。どれほどの人が、目的地のビジョンを知らずに「生活」「仕事」「ローン」「受験」などといった二次的な目標に忙殺されていることでしょう。「自分は誰なのか」「なぜ生きるのか」――そうした最重要課題から、目を逸らして。
だから、自分の人生目標を知りましょう。あなたを造り、育て、必要な知識や能力を与えてくれた神さまに立ち返れば、なすべきことがはっきりと見え、それを行なうためのきっかけや、出会いも与えられるのです。聖書にこうあります。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリストイエスにあって造られたのです。 神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです(エペソ2:8~10)。」

だから、神からの「人生ナビ」を手に入れ、自分の居場所と目的地を確認しながら、生きて行きましょう。


③まことのいのち、すなわち「神さまから自分に与えられた恵み」を忘れるのは、私たちの得意技です。
少し考えてみましょう。

今この瞬間に、生きながら腐り、死んでいく人のことを。アフリカサバンナの難民キャンプで、食べ物も、清潔な飲み水も無く、落ち窪んだ目でぼんやりと世界を眺める幼児。両足を失い、板切れに車輪をつけたもので、懸命に移動する浮浪児。肺水腫で、次の一息を吸うことすら困難な人。生来盲目で、この世界のまぶしさ、美しさ、色彩――そんな物を一生見ることができない女性。長い抗ガン治療で苦しんだ末、医師から見放される若者と、その家族。言葉を失い、伝えたくてもその意思を伝えられず、ただ涙を流す老人…。

私たちが現在、どんな過酷な状況にあろうと。彼らに比べたら、どれだけ恵まれていることでしょう。
お金を幾ら積まれれば、私たちは彼らに成り代わるでしょう――恐らく、幾ら積まれても、あなたの腕一本、足一本、眼球、肺、健常者としての生活、…それらに変わるものなど、ありはしないのではないでしょうか。

その恵みを忘れて、この世界の小さな事柄に執着し、結果的に健康を害したり。信頼や友情、愛、心の平安といった、本当に大切な物を失ってしまわないように。
この世界の栄華や富は、移ろいやすいのです。その対価として私たち自身を捧げるような、愚かなことは避けましょう。


神さまを信じることは必要でしょうか、という質問に答える前に、あなたに聞きます。
「あなたが幸せになることは、必要でしょうか。」

もしその答えがイエスなら。これまでの人類の歴史が証明してきた通り。
神さまを知り、その愛に触れることで、あなたも必ず、より幸福な人生を手に入れることができます。
だから、私は自信をもって、「神さまを信じ、そしてあなたを、信じてください。」と言うのです。

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