後藤 秀孝
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JAPAN
Intermission:異言について
2007-04-02 Mon 17:36
今日4/1のPeople’s Church, Assemblies of God(スリランカ)では、標題の通り「異言」について、豪州在住アメリカン牧師が熱く語っていました。彼いわく、
「ペンテコスト系の教会で、40%以上が「異言」を話せないなんて、何てだらしない」とのこと。

説明しますと、「異言」とは「人間語」ではなく「聖霊語」のこと。神さまと直接話し合える、すごい言語らしいのです。頭で、特に左脳で聞いても、ぜんぜん意味分かりません。それが「異言」です。

というと、勘の良い読者の方ももうお分かりかもしれませんが、筆者は「異言」が話せません。

そんな私をあざ笑うかのように、今日は①アメリカン牧師に「異言!」「異言!!」と促されること、②聖書クラスでも再び、尊敬するBandula牧師に「異言、やってみる…?」促されること。と重なりました。

典型的左脳(全てをテキスト化し、論理で理解しようとする)人間の私に、彼らは説明してくれます。「異言」とは、①聖霊に満たされていれば、自然に出る。②そのあふれ出てくるものを、頭で考えたりせず、解き放てばよい。ということです。

そして、皆さんで円陣を組み、5分を上限として「異言」大会開催。


その5分、周囲の聖霊語を聞きながら、私は黙って祈っていました。「異言」よ出ろ!!という類の物では全く無く(ゴメン)。正確に言うと、神さまへの感謝です。

神さま、あなたがいなければ、今の私はいません。
私が粉々だった時、あなたは破片を拾い集めて、つなげてくださいました。
私があらぬ方向へ向かう時、あなたは辛抱強く待っていてくださいました。
私が必要なレッスンを、必要な時に、あなたは受けさせてくださいました。
あなたの導き、恵みと愛に、感謝します。

あなたが、頑固でエゴばっかりの、私のような人間を変えることができたのなら。
あなたの手は、どんな人の心でも。それがどれだけ堅く、閉ざされていようとも。
あの巨大な氷河をすら溶かす太陽の光のように、彼らの心を開くことができるでしょう。

どうぞ神さま、ちっぽけな人間である、私という器を使ってください。
あなたの栄光を、より多くの方が見られるように、私を用いてください。
彼らが元のように、しあわせに生きられる道を、光を、示してください。」

結果。

残念ながら、「異言」は、出ませんでした。
しかし、満面の笑みと、閉じていた目からは涙が。代わりに出ました。

その後、Bandula牧師は、ただ祈り、励まして、私を送り出してくれました。


教会からの帰り道、私はまた神さまに聞きました。

「できるフリして「異言」を話すより、私は私自身と、あなたに正直でいたい。
周囲に流されるのでなく、誰かから強要されるのでなく。出るようになれば、それは素晴らしいことだけれど。
だから、みんなとBandula牧師を喜ばせる為に「話せるフリ」はしませんでした。
でも、私にとって「異言」とは、あふれ出る感謝の想いと、笑顔と涙だったみたいです。
とりあえず今は、これで勘弁してくれますか…。」

そこで示されたことばも、私の大切な宝物になっています。
「誰もが違うギフトを持っている。誰もが違うDNAを持ち、誰もが違う顔つき、髪の色、声音、姿をしている。あなたと全く同じ人間など、過去にも、現在にも、未来にも、存在しない。
だから、誰もが、型にはまったように、「同じ」でなくていいんだよ。
「異言」が話せることも賜物だけれど、あなたには他にも、たくさんのギフトがあるよ。
わたしは、ありのままのあなたを、愛しているのだから。」

「ありがとうございます。あなたのことばが、私のすがる慰めです。」

ならば、私の「異言」は、私の笑顔だ。私の感謝だ。私の素直な、喜びの涙だ。
「異言」と違って音は出ないが、私の中から溢れてくるもの。
それを使って、あなたの下さった愛の喜びを謳おう。

「異言」と違って、笑顔や感謝の言葉は、いつでもどこでも、誰に対してもできる。
ならば私はその賜物を誇ろう。それが私の「異言」だ。

そこまで辿りついて、肩の力が抜けました。


ありがとうございます。
再び神さまに、感謝なのです。

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この記事のコメント
#111
私はキリスト教は分かりません…
心の調和がないまま霊道が開き、異言が出るのは危険だと聞いたのですが。
出せと言われて出せるのも凄いですね
2007-05-15 Tue 14:15 | URL | たま #-[ 内容変更] | top↑
たまさん
コメントありがとうございます。

私は自分で見たこと、聞いたこと、経験したことしか信じない人間でした。霊とか、会ったこと無いので分かりません。霊の道も分かりません。

そう、たまさんがキリスト教にまだ親しんでいないのと同様、私も分からないことが多いですよ…。

ただ、これは言えるかも知れません。
私たちの求めている物もまた、「こころの調和」なのです。

内側から湧き出してくる、「私は愛されている」「主にあって、私の存在する意義も、役割もある」そして「私は一人ではない」という確証、こころの平安が、主イエスの愛と救いにはあるのです。

異言がしゃべれる/しゃべれない。それによる差別や、優越・劣等感など…、所詮「宗教」と同じ、人間の作った線引き・区分ではないでしょうか。その差にこだわって、他を尊重すること・愛することを忘れるのなら。その人は主イエスが言われたことを、もう少し勉強する必要があるかもしれませんね。日々是勉強、耳が痛い話ですが…。

たまさん、これからもどうぞ、遊びに来て下さいね。色々なご質問、一緒に考えていきましょう。

With Prayer from Sri Lanka,
ごとう ひでたか 拝
2007-05-15 Tue 20:45 | URL | ごとう ひでたか #-[ 内容変更] | top↑
#113
こんばんは、通りすがりです。リンクをたどってたらここに来ました。

所属はアッセンブリー教会(バリバリのペンテコステのはず)ですが、昔と違ってほとんどの教会員が異言を語れません。私は自覚がないですけど語っているみたい。出そうと思って出るものではないので...

語れれば良くて語れないのは悪いのか?とかそれは本物か?とか判断の基準にされるのはイヤです。


「霊道」?私も聞いたことないですねぇ。
2007-05-17 Thu 23:28 | URL | jack #-[ 内容変更] | top↑
#114 jackさん、コメント感謝です
Jackさん、来訪&コメントありがとうございます。

Jackさんの仰るとおりです。教会の中で、あることが「できる」から「仲間」、「できない」から「部外者」なんていう括りがもしできてしまったとしたら。

「一つの身体に、多くの器官」と言ったパウロの言葉はどうなるのでしょう。「目が手」を、「頭が足」を拒絶したとしたら、そこには既に愛はありませんね…。

教会の外で、私たちは様々な比較や、否定の波にもまれています。その俗世からの救いを求めて来た人が、教会の中ですら、拒絶されなければならないとしたら。その教会は神さまの意図から外れているように思われます。

気づけば、変われます。気付けば、また主にあって初心に戻ることができます。だから、どの派が正しいとか、偉いとかにこだわったり、保守的になるのでなく、神さまの声に従って、みんなと進んで行きたいのです。

Jackさん、またいつでも遊びに来てくださいね。そして色々とお話聞かせてください。これからもよろしくお願いします。

ごとう ひでたか 拝
2007-05-19 Sat 18:54 | URL | ごとう ひでたか #-[ 内容変更] | top↑
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