後藤 秀孝
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JAPAN
「やればできる」という聖書の力
2006-09-16 Sat 23:44
「だれでも求める者は受け、探す者は見出し、叩く者には開かれるのです」「からし種ほどの信仰があれば、この山に向かって「ここからあそこへ移れ」と言えば、移るのです。あなたがたにできないことはありません」との例えもある通り、JCイエスキリストは何事も「やればできるよ」と仰っています。
JCイエスさまご自身は、伝染病や脳機能障害による麻痺(中風)などで身体的・精神的に障がいを負った人々を癒されたり、水をワインに替え、男だけでも5,000人を超える集団をほんの一握りの食料から養ったりと、奇跡の力で何でもできました。しかし私たちが一番驚かされることは、「キリストは神のみ姿であられる方なのに、神のあり様を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた。(Phil.2:6)」と言うくだりです。
主イエスは世界の創造主、王の中の王という立場から、一介の大工の息子としてこの世に来られました。そして、権威ある言葉を話し、奇跡と癒しを行ないながらも、妬まれ、憎まれ、一部の弟子からも裏切られ、ありもしない罪で訴えられ、鞭打たれ、最終的に咎人として十字架に架けられたのです。その上で、死の直前に「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」と、キリストを憎んだ者たち、周囲で野次を飛ばす群衆のために祈ったのです。
正直憎んでも憎みきれない処遇です。私なら天からの火で悪人を焼き尽くすところです(はぁーすっきり。)
でもJCイエスキリストはこんな極限の状態で、自分のいのちを投げうって「やればできる」例を、私たちに示してくれました。「あなたには理解できる」「無知や無関心といった壁を取り払うことができる」、その上で「あなたには赦せる」「愛することができる」と。

「神の愛は、我々が何をするか、したかの報酬ではない。JCイエスキリストが十字架の上で我らにして下さったこと、それが愛だ。」

わたしがあなたの足を洗ったのだから

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