後藤 秀孝
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<あなたから出たものは>
2007-03-27 Tue 13:02
ここスリランカでは、子どもの物乞いや物売りが、少数ですが未だに存在します。年齢にして、7~10歳くらいでしょうか。もしくは栄養失調などにより、年齢より小さく、幼く見えるのか…。

物売りの少年たちは、袋に入れた貝殻や、お香、また仏教のありがたい章節(シンハラ語なので読めん)などを売り歩きます。と言うよりは、ものすごい悲しそうな目でお客を見上げ、(買うまでどこにも行きませんから、ええ、行きませんとも!!)と燃え滾(たぎ)る執念深さでもって、片言の「ハロー」を繰り返すのです。

私は、個人的に喜捨(お金を上げること)には反対です。一人にあげても、その次の子、またその次と、永劫に与え続けられるわけではない。また一時的な解決は、彼らに依存心を植え付け、自立への願望を刈り取ってしまう――そう信じるからです。だから、物売りの子どもに対しても、ひたすら冷たい「ガイジン」なのです。

そんな冷血なガイジンの存在もあって、正直、営業職としての彼らの職務内容は、きついです。学校も行かずに、子によっては一日中浜辺やバス、路上で立ち働く訳ですが、一日1,000人ぐらいには「No」と言われるのではないでしょうか。そのみすぼらしい外見から、誰からも見向きもされず、店頭では邪魔者扱いされ、あたかも透明人間であるかのように無視され、存在を否定されます。それでもなけなしの50~100Rsをつかんで、親の生活の足し――それが食料になるか、アルコールやドラッグになるかは別にして――にしているのです。

しかも、最近学んだことですが、そうした子どもの物売りの一人が、きれいな服を着た母親と姉(と思しき女性)と、3人で帰途についていたこと。それまで不憫に思って喜捨を上げていた妻は憤慨して、「信じらんない!!子どもに物乞いさせる親なんて!!」と言っていました。


<Just Luck>
ちょっとここで止まって、考えてみましょう。
前項で、妻が「信じらんない!!」と煙を上げていた時、私の中では少し違った想いがありました。

「こういう時、批判するのは簡単だね…。でももし私たちが、彼女と全く同じ生い立ちで、全く同じ境遇にいたとしたら…。私たちも同じことをするかもしれんね。そう考えると、何も言えないわな。」

そう伝えると、妻も無言で考え込んでいました。

そう。彼らの困窮の中での状況も。彼らに比べて非常に恵まれた、私たちの状況も。
ただ偶然に、全くランダムに、与えられた生。それがスリランカのスラムだったのか、東京の下町だったのか。

私たちは自分の生まれの何を、誇れると言うのでしょうか。「ラッキーでした。」「神さまありがと。」としか、言えないのではないでしょうか。


<あなたに還る?>
彼女たちの、物売りの少年に対する扱いは、長い弧を描いて、彼女たちに還るのでしょうか。仏教で言うところの「因果応報」…。キリスト教でも、「良いものを蒔けば、良いものを刈り取り(ガラテヤ6:7)」…。

確かに、彼がこのまま学校にも行かず、物乞いを続けて時を経たとして――彼が大きくなったら、彼女たち(母親&姉と思しき女性)の面倒を、どのように看るでしょうか。
彼が扱われたように、そのように、彼も彼女たちを扱わないでしょうか。支配と抑圧、蔑みをもって。

もし彼が家庭を持って、子どもができたとして――その子どもをすら、彼が扱われたように、そのように、扱わないでしょうか。

こう考えると、確かに負の連鎖が永劫続いていく(かもしれない)のです。


<鎖を断ち切る>
その負の連鎖を断ち切るために、教育があり、また信仰がある。私はそう思います。

上記の、子どもの無垢な感情を利用する、女性たちを責めるのでなく。外部からすべきことをする。
物売りの少年が、そして女性たちが、すがりたい時に、すがれるように。そしていつか再び、自分の足で立って「神さまありがとう、感謝します」「生きてて良かった」と言えるように。

彼ら/彼女らが、一番支えて欲しい時に、支えてあげられる体制を整えましょう。


皆さんに言いたいのですが、こうした草の根の自立支援は、単なる「喜捨」「人助け」「善行」ではありません。

目に見えないところで戦われている、世界規模の戦争――「無知、不平等、無関心との戦い」です。心が冷たくなっていくこの社会で、私たち人類の明日をかけた戦闘が、今も続いているのです。


強大なペリシテ人戦士、ゴリヤテに立ち向かったダビデ少年のことばを借ります。
「…この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される(Iサムエル17:47)。」

神さまとともに、私たちが団結して立ち向かえば。教会も、お寺も、企業も、政府も、そのボーダーを越えて、共に戦えば。必ず勝てる戦いだと信じます。
私たち一人一人が、神さまの働き手であり、神さま教会なのですから。

なすべきことを、今、しましょう。

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