2007-02-04 Sun 20:00
パキスタンと同様、ここスリランカでも、両親の推薦でお見合い結婚するカップルが多いそうです。厳格な文化の中で、婚前のお付き合いや、デートや、くちづけなどもっての他。手をつなぐことも激しくNGなのです。
そんな中、流行のインド映画やドラマは、男女の甘く切ない「お付き合い」をかなり誇張して表現します。 まず、彼女はあなたと目を合わせません。恥ずかしそうに下を向きます。その目線の動きと合わせて、長い首もしおれる花のように下にかしげられます。そしてスッと上目遣いに彼を見て、また恥ずかしそうに目線をそらす。その繰り返し。 ハンカチを落としたり、可憐に花をつんだり、湖畔で歌ったりします。 男は彼女に迫りますが、触りません。触っても指先でほっぺ ツンツン。くらいです。期待してはいけません。そしてなぜかダンスです。タンゴです。チャチャチャです(忘れるな、アクションは功夫。) そして極めつけは、白いブランコです。若い二人が(男優おっちゃんの時もあるが)楽しそうに白いブランコで行ったり来たりしています。画面はもちろんスローモーション。 そんなファンタスィ~を散々インプットされた後、お見合いの相手が「ハズレ」だった場合のショックは並ではないと思われます。外見OKでも、性格NG、ということもありえます。 その「理想」と「現実」の差に耐え切れずに、男性はDVや抑圧、暴言に走ってしまうケースもあるのでは。期待値があまりに高すぎると(...上記のインド例のような人類は存在しません)、どれだけ相方が素晴らしくても、その輝きが曇ってしまうのです。満足できないのです。 お互いをありのまま受け止める努力を、そして感謝する姿勢を、夫婦共々身につけねばなりません。 それは給与レベル、生活水準の場合もあるでしょう。調理の腕、味噌汁の味、炊事の手際などでもあるでしょう。疲れた時のキレやすさ。爆発するまで溜め込むか、四六時中散発しているか。効率的か。創造的か。おしゃべりか、寡黙か。自分の考えを的確に表現できるか。人の考えを理解できるまで聞けるか。向上心はあるか。柔軟な思考ができるか。執念深いか。赦せるか。忘れられるか。忍耐強いか。すぐ背を向けるか。 一つ一つのパラメーターを、日々地雷を踏みながら発見していく過程が、付き合い/結婚だと思います。悲しいですが、他人の「立ち入り禁止」線は、踏み越えてみないと分からないのが人間です。そこでは、インド映画の描写する表面的な愛のジェスチャーなど、全く意味を持ちません。 パートナーをありのまま受け入れること…そしてその弱みにすら感謝すること…。その為には時に非常な忍耐が求められることはあります。しかし、聖書もこう言っていますね。 『それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 互いに忍びあい、誰かがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい(コロサイ3:12~15)。』 ですから私たちも、ドラマや映画に象徴されるようなファンタスィ~に目を奪われることなく。相手をありのままで愛するする術を学ぼうではありませんか。 スポンサーサイト
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#36 ほんとですかぁ
「一つ一つのパラメーターを、日々地雷を踏みながら発見していく」
↑ ほんとですかぁ…こ、こわいですね… #37 私もずいぶん打たれ強くなりました
コメントありがとうございます。妻が台湾人だからかもしれませんが、地雷はそこらじゅうに存在しました。
今は①踏む前に回避する②踏んでも笑って撤退、などと鍛えられています。 トホホ ごとう |
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