後藤 秀孝
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JAPAN
「赦(ゆる)す」こと
2007-01-27 Sat 17:33
私たちは時に「育った家庭環境が悪い」「学校がなってない」「夫のせいで」「上司が使えないから」などと言って、怒りと鬱憤(うっぷん)を溜め込むことがあります。つまらない事の揚げ足をとられ、虐められる。「キモイ」「ウザイ」などのレッテル。会議中に自分のアイディアを全否定される。部下の前で叱責される。夫/妻のエンドレスな小言…。暴言、暴力、抑圧…。

負の感情の中でも、周囲を、他人を「赦せない」気持ちは特に長引きますし、特定のイベントが発生しスイッチが入ると、いつでも「すごく嫌な気分」に戻ることができます。子ども時代の家庭不和を未だに覚えていて、自立後両親と疎遠になるようなケースもあります。燻りながら私たちの身を焼き焦がす、地獄の炎です。

こうした負のエネルギーが臨界点に達すると、自律神経失調症、トラウマ、家出、離婚、不登校、退職…という形となって表面化してくる。最近の殺人や自殺なども、言葉に出せないこうしたマイナスの感情が蓄積され、小さなきっかけで行動として噴出したもののように思えてならないのです。

ある人は話すことで、ストレス解消するといいます。しかし自分の負の部分、内側で燻(くすぶ)る恨みや報復欲、行き場のない怒りを、おおっぴらに共有できる友人や家族を持つ人は、少ないのではないでしょうか。下らないゴシップや日常の苦楽に終始して、一時の共感・友情を味わって、終わってしまうことも多いのではないでしょうか。だから赤の他人である、ラジオ人生相談や、バーテンダー、占い師、心理学専門家に頼って、「カウンセリング」を受ける。「自助・啓蒙」セクションの本を読み漁る。こうして、その時々でポジ (Positive) のエネルギーを充填してもらって復活しますが、毎日の暮らし、人間関係の中で、再び負の影響を受けネガ (Negative) る。

「許せない」「やり返したい」と思う気持ちが出るのは、人として当然です。それは仕方ありません。でも大事なのは「その感情をいかにコントロールするか」ではないでしょうか。私たちが感情の支配者にならなければ、反対に感情が私たちの支配者になるからです。かといって、その解決法は、怒りを無理に抑え付けようとしたり、感情を放棄して、何も感じないようになることでもないのです。

イエスキリストは、その怒り・報復の感情にふれて、こう言っています。


「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。
あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮蔑する者のために祈りなさい。
あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。
全て求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。
自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。<中略>
ただ、自分の敵を愛しなさい。<中略>
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです(ルカ6:27~38)。」

「聖人でもあるまいし、私にはそんなの無理」というのが実際のところです。でも、一つ気付いて欲しいのは、主イエスが上記のように言われた、その理由です。それは、

「このように生きれば、あなたは怒りや復讐心から解放されて、幸せになることができる」
と言う真理なのです。

怒りは、人を殺します。文字通り、怒りが高血圧や脳梗塞、心筋梗塞などを引き起こし、怒りを発した本人を殺した例は、数え切れません。それでなくても、あなたの健康、睡眠や食欲、家庭、幸福感――それらを汚染し、不幸の毒を流し込むのが怒りや恨みです。

そして、虐めた人間が一番喜ぶのは、虐めの対象が「苦しんで、悩んで、憎んで、引きこもること」でしょう。暴力を振るい黙らせようとする父が一番喜ぶのは、「絶望して、言葉を失った」子どもでしょう。あなたの人生を、彼らの望む通り生きる必要はありません。彼らの支配に屈する必要はないのです。

その戦いの第一歩が、まずは自分の中の「怒り」「報復欲」との戦いです。
自分に勝てさえすれば、周囲との戦いに勝利を納めることは難しくありません。

「怒りをおそくする者は勇士にまさり、
自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる(箴言16:32)」のです。

他を赦すこと、彼らの罪を忘れることは、簡単ではありません。
しかし、あなたが幸福に、自由に生きるために、その感情の鎖を断ち切るよう訓練する必要があるのです。

だから彼らのために、祈りましょう。彼らがいつか人生から学び、彼ら自身の過ちや罪を認め、後悔の涙と共に全てを謝罪し、あなたと同様、自由で、幸せな人生を生きられるよう。

誰の物でもない、あなただけの人生。まずは自分の「幸せ」のために。
神さまのアドバイスに従って、生き直してみませんか。

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この記事のコメント
#22
はじめまして。
いつも読ませていただいてます。

突然で申し訳ありませんが、一つ質問があります。
それは昔から疑問に思っていたことなんですが、何故クリスチャンなのにも拘らず殺人を犯したり、暴力を振るったりする方がいるのでしょうか?一時的に自分の気持ちが抑えられなくて、ならまだ分からなくもないですが、そうじゃない場合もあります。

文章が下手なので上手く伝えられなくてすみません・・・。
2007-01-29 Mon 13:30 | URL | mina #ElJgphU6[ 内容変更] | top↑
Mina さん、コメント感謝です。
「彼らは“なんちゃってクリスチャン”だから」と言い、批判するのは簡単ですね。でも、もっと深いところで神さまの意思が働いている可能性も、私たちには否めないのではないでしょうか。

殺人者の立場から言えば「道に迷い、取り返しのつかない過ちを犯してしまった」ということでしょう。奪ってしまった人の命、その重さを背負ってこれから先の人生、生きていかなければいけません。刑罰の苦しさも、長い拘留期間も、殺人者のレッテルも。彼の人生を大きく狂わせるに十分だと思います。

主イエスはどう言うでしょうか。彼の過失を責めて、地獄へ投げ込むでしょうか。

そうではない、と思います。もし彼がその罪を心から悔い改め、救いを求めるのなら。主イエスは彼のすぐそばに立っていて、その手を取り、立ち上がらせてくれるのではないでしょうか。「緋色の罪にまみれても、雪のように白く」変えてくださるのではないでしょうか…。


そして、ご遺族の立場から言えば。やりきれない悲しみ、怒り、復讐心…そうしたものに苛まれて、以後普通の人生を取り戻すことなど不可能だと思います。引きこもり、アルコール、ドラッグなど、自分をさらに追い込んで苦しむのではないでしょうか。

彼らの気持ちを本当に理解して、傷ついた心を修復することは、この地上の人間には残念ながらできません。

神さまならば…。主イエス・キリストならば…。それは別の話です。彼らがその苦しみの底でいる時、頭上からさしている光、それに気付いて、すがることができたなら。周囲の人が一言でも、主イエスの救いを伝えることができ、ご遺族の方たちの記憶の隅に、福音への望みが喚起されたのなら。

時間はかかるでしょう。しかし、彼らの今の涙を乾かして、微笑みに変えてくださるのも、主イエス・キリストなのです。

私の理解では、この程度のことしか書けません。神さまのご計画は本当に計り知れないので。

こうした私たちの罪・不道徳、怒りや傷すら癒し、完全にして、他の苦しんでいる人たちへの福音としてくださる。
そのために、こうした人間の愚かさ、過ち、苦悩をも、責めたりさげすんだりせずに益に変えて下さる。

それが神さまのご意思かも知れないですね。
2007-01-29 Mon 16:47 | URL | ごとう ひでたか #-[ 内容変更] | top↑
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