2007-01-24 Wed 19:43
「Passion」という言葉があります。日本語に訳すと単に「情熱」でしょうか。 この言葉の起源を辿ると、「主イエスの最期の晩餐~処刑完了までの期間」という表記にぶつかります。つまり、キリスト・イエスが示された「苦しんで、そのいのちを捧げても、達成したいと思う」情熱、それがパッションです。 主イエスの「Passion」は、メル・ギブソン監督に任せるとして、今日は前回出てきましたパウロさんを例に「Passion」の意味を詳しく見てみましょうか。 シリアのダマスカスへ行く途中「目からウロコ」が落ちたパウロさん。主イエスの声を聞いて、その指示に従う事を決意。ただちに反キリスト路線から、親キリスト路線へ転向しました。 口で言うのは簡単なのですが、これはいわゆる「抜け忍」な訳ですよ。カムイです。タイガーマスクです。最近のアニメは知りません。抜け忍は組織の秘密も知っているし、なまじ強くて影響力があればこそ、裏切り者として組織を挙げての報復です。暗殺者が毎週送られてくるのです。パウロさんも同様、これまで所属したユダヤ人グループから命を付け狙われるようになりました。 城壁に囲まれたダマスカスの街の出入り口には、ユダヤ人組織の息のかかった人間が昼夜見張り、迂闊(うかつ)に街を出歩く事もできません。多くの待ち伏せや追跡、兵士、暗殺者、そしてユダヤ人たちの敵意の目をかいくぐっての脱出劇。場所を移っても、その活動を阻もうとするユダヤ人社会の妨害は続きます。ある時は、占いの霊に取り憑かれた女性を救ったことから、そのオーナーに恨まれ、訴えられた上にむち打ち・投獄の憂き目に遭いました。 福音伝道を、ユダヤ人たちの扇動・偽証によって阻まれ、地方行政からも誤解されたり敵視されたり。時にはユダヤ人の手に落ち、石打ち(民衆×100人くらいが、手に手に石を持ち、受刑者に投げる。痛い)に遭って死にかかったり。あることないことでっち上げで、訴訟を起こされたり。 (たとえ同郷人であっても、見ず知らずの人間からの迫害であれば耐えられたかもしれません。しかし従順なユダヤ教信者であるパウロさんの両親、兄弟姉妹、師や友人たちからも誤解され、糾弾され、勘当されたのは辛かったと思います。) そして、ローマ皇帝への上訴、裁判、そしてローマでの宣教を経て最終的に、主イエス・キリストが処せられたように、パウロさんも架刑に処せられます。これまでの自分の人生。家族。友人。仕事。地位。名声。財産。ある意味全てを棒に振って、それほどまでにして、彼が求めたものは、一体何だったのでしょうか。 「神の下さる賜物は、私たちの主キリストにある永遠の<いのち>です。 これは、目に見えず、耳で聞くこともできず、私たち人間の心で把握しきれないものです。しるしを求める者、論理で解明しようとする者には<愚かさ>ですが、私たちは御霊の恵みによって、神から賜ったものを知ることができます(ローマ6:23、Iコリント2:9、12、22~24意訳)。」 そして、そのPassionを達成するために、彼は文字通り自分の「からだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげ」たのです(ローマ12:1)。 あなたは「Passion」を持っていますか? それが競輪やゲームや夜遊びや株取引や仕事や家族や…。そうした物であれば、本当にその為に命を失ったとき「あれ、俺/私何やってんだろ?」と振り返るかもしれません。 それよりも、「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます(ルカ12:31)。」つまり、まず神さまの愛を深く理解し、神さまがあなたのために用意してくださった計画を知り、神さまの意思に従って生きること。それを目標として「Passion」燃やして日々生きることです。 そうすれば、日々の暮らしの必要や、職場での円満な人間関係や、夫婦間の仲や、家族の愛や…。そうした物は後から自然とついてきます。 パウロが人生を旅人として過ごし、伝え続けたもの。 イエス・キリストが十字架の死で、達成しようとしたもの。 それはあなたの、愛と至福と平安に満たされた<いのち>なのですから。 あなたは「イエス!」と言えましたか…? 言えた方は押してくださいね♪↓ |
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