後藤 秀孝
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神さまに任せたら?
2007-01-22 Mon 16:36
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです(マタイ11:28~30)。

と言うのは、クリスチャンの人気章節の一つですね。
ここで言っている「くびき」とは、私たちの「生き方」「姿勢」です。
イエスの「くびき」を負うということは「キリストの生き方、姿勢に従いましょう」と言うこと、そして「そこから学んで、幸せに生きる方法を身につけましょう」と言うことに他なりません。

自分の思った通りに周囲をコントロールしたい欲求、つまり「自分で神さまになりたい症候群」が、全ての不幸の始まりだとは<私たちって 罪人なの?>シリーズの中でも述べました。そこから解き放たれるために、主イエスが生前残した処方箋を紹介します。

それは、主イエスが最期の晩餐を終え、ゲッセマネで祈り、深く恐れもだえられた時。激しい祈りのため、キリストの汗が血のしずくのように、地に落ちた時。裏切り者ユダが兵士たちと共に夜の闇に乗じて迫り、弟子のペテロやヨハネが事の重大さを丸っきり理解せず、傍らでぐっすり眠っていた時。

主はひざまずいて、こう祈られました。

『アバ。父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください(マルコ14:36)。』

もちろん神の子、願えば何でもできるし、人間の兵士ごとき「薙ぎ払う」のは可能であったにも拘わらず。特に裏切り者のユダなんて速攻血祭りに上げられたにも拘わらず。その為に天の軍勢がその剣と弓を構えて、主の周囲で待機していたにも拘わらず。

イエスキリストは自分を神とせず、彼が父と呼ぶ、天の神さまに全てをゆだねたのです。

そして、人の知りえる全ての痛み、苦しみ、乾き、蔑(さげす)み、裏切り、絶望、孤独…そうした物を全て受け入れて、十字架の死に従われたのです。

私たちも、苦難にさらされた時。試練に挫けそうになった時。空回りに苛立った時。空しさに投げ出したくなった時。先が見えずあきらめそうな時。主イエスの潔さに、学んでみませんか。

「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」といえる勇気を、心の余裕を、持ちませんか。

そうすれば、思ったように進まぬ現状にストレスを感じる事はあっても。思い詰めたり、トラウマになったり、必要以上に傷ついたりすることは、防げると思うのです。肩からスッと、力が抜けると思うのです。

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