2016-03-19 Sat 06:37
常々思う。
人間とは、認識に因る生き物だ。 つまりだ。 オバサンは年齢に因るのではなく、本人の「自分はオバサンね」と言う認証、自己承認から生まれる。 ――――― <リンク> 【Christ's Church Co.Shigaya 越谷キリストの教会】 【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】 【Million House(百万家 ミリオンハウス)】 【銀カフェ】 【CCC 自習塾】 ――――― ジジイもしかり。「俺も年取ったな」と認めたその瞬間に、俺は年老いている。 自己認識が言動を、生活習慣を、着るモノ、食べるモノ、時間の使い方、勉強への姿勢・・・を形成していく。 それは、 ①認識があって始まり、 上記のような②行動の変化が自己認識を強化し、 ③強化された認識が更に行動を変容させて行く...。 と言う再帰性理論・個人版である。 ーーーーー それを逆利用することも、勿論できる。人間が天才な理由である。 否、人間に承認回路を埋め込んだ神が、天才な理由である。 かのボクシングチャンピオン、マイク・タイソン氏。幼少はイジメられっ子で、泣いて帰っては飼っていた鳩の面倒を見ていたそうだ。 だがある時、情勢は急変する。イジメっ子達がタイソンの宝物、鳩に目を付けて、遊び半分に殺してしまった。 天突怒髪。 並み居るイジメっ子を「君が泣くまで、殴るのをやめない!」と言ったかどうか。飛び掛かり、もつれて倒れ、馬乗りになってイジメっ子を殴り倒して初めて、 タイソンは認識した。 「自分は強い」 「俺の拳は Dynamite」 とかなんとか自覚したのだ。 そこから刑務所入り、 師匠であるカス・ダマトとの出会いを経て、 (恐らく最軽量の)世界ヘビー級王者が誕生した。 これ、 モテると過信する奴がモテ、 成功すると確信できる奴が成功し、 金持ちだと既信する奴が金持ちになる。 同意である。 ーーーーー だがしかし。 人間とは、流され易い生き物だ。 自己認識形成の際、 周囲を、例えば親を、クラスメートを、同僚を、TV出演者を、 自己承認の比較対照インデックスにしてしまう。 他人と同じようにあろうとする。 他人からの評価を求めてしまう。 他人の心証によって、自己承認すら影響されてしまう。 そう。それら無責任な社会的普通、他人レッテルの貼付け。 私たち往々にして、それらの誤認を以て「自分」を定義してしまう。... ーーーーー では、主は、我々の自己認識についてどうおっしゃられているか。 = ①神の子どもである。 ②主の弟子である。 ③民のしもべである。 そんな我らを、全能なる神は、愛して止まない。 一人ひとりを「高価で尊い、かけがえのない存在」と見なされる。 だからこそ、我らを信じ、託して、 この地上に御国を、つまり天の安らぎと平和を、我々の手を通じてもたらそうとされる。 偉大な者になれ。 と高い要求をされる。 だが主の目に適う偉大とは、 公正、正直、謙遜、柔和、利他、忍耐...そうした美徳を備える事であり、 必ずしも「世の言う成功モデル認証」とは一致しないものだ。 そうした「主の認識」を、自分のモノにできるか...。 ミスもすれば責任転嫁もする浅ましい存在の我らを、 地の塩、世の光とされ直々に用いられようとされる。全ての所有者である王の王、主が承認される。そんな私たちの本来を、取り戻せるか。 全て、我らの選択に掛かっている。 あなたは、どちらを選ぶ...? スポンサーサイト
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