2015-11-22 Sun 21:35
この世の、圧倒的な不条理、
統治機構の腐敗、人民に降りかかる無惨、理不尽… に出会う時。 俺はとことん無力さを覚える。 同時に思う。 「無力感とは、引き摺られる側、動かされる側、被害者の側の持つ感情の筈だ」 俺はじゃあ、被害者の側にいるのか? 誰かに酷使され、誰かの富のために働かされる、 奴隷の側に? ![]() ――――― <リンク> 【Christ's Church Co.Shigaya 越谷キリストの教会】 【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】 【Million House(百万家 ミリオンハウス)】 【銀カフェ】 【CCC 自習塾】 ――――― そうだ。俺は解放奴隷の道を選んだが、いまだ手足に鎖がついたまま。 一時的に、銀行・ノンバンクの鎖までついて、更にその負担は重い。 だが、それらは「奴隷の身分から抜け出そう!!」とする努力の一端、不可分の一面である。 こうした寡黙な自助努力を、 克己主義(ストイシズム、ストア派の。ストイックな) みたく呼ぶらしい。 克己主義にハマることで、俺は過去9年ほど、脱・賃金奴隷を図ってきた。 労働奴隷の側、国政の被害者の側から、抜け出そうとしてきたのだ。 そもそも、克己主義が高じて留学をし、留学を超えたら商社、商社勤務を超えたらNGO、NGOを超えたら投資家。…のように歩み続けてきた。 だがその過程で分かったのは 「超えても越えても次がある」 という無限の連鎖だった。 ――――― 生保受給のおっちゃんが、夕 16:00 くらいに銭湯の一番風呂目指して歩いている。手にはタオルと石鹸入れを下げて。 俺は心中で、彼の「幸せ」に思い馳せる。 「この人は熱ッつい風呂に入って身体伸ばして、晩飯にビール一缶もつけば、それで幸せなのかもな…」 想定の対話の中で、おっちゃんの背中が言う。 「君は若いな。未だ、満足することを知らない。 人間、結局のところ起きて半畳 寝て一畳。 幸せとは、足るを知ること だ」 俺は一瞬、納得しそうになりながらも、応じる。 「それは挑戦することを止めた奴らの言い訳だ。 若さとは、自分を、今の境遇を、より良い物へ変えようと挑戦し続けることだ。 つまり、挑戦し続けている限り、俺は若いッ! 若いから挑戦するんじゃない。 挑戦するから若いんだ!! だったら、投資家としての道を選んだ俺は、死ぬまで若くいられる。 挑戦しない投資家など存在しないからだ」 偉そうに言う。 そうやって、先の克己主義にドップリ浸かる。 ――――― 「私」と「私の前進」にばかり傾倒し、突き詰めていくと、 このように 抜け出せない「ラットレース」にハマる。 超えても越えても、迫りくる欠乏感と不満足。 俺は主に聞いた。「ここから抜け出すには、一体何をすれば??」 ことば とイメージで、主は語りかける。 『今の次元を超えろよ』 『つまり、物質的/経済的/相対的/世俗的な価値観の次元から、 我と汝、神と自分、つまり主であるわたしとあなた、の価値観の次元へ、だ』 ――――― 主の語られたことばで、悩む俺に強い印象を与えたもの… 『あなたがたは、世にあっては患難があります。 しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』 (ヨハネ16:33 主の言う 「世に勝った」 とは、 即ち 「世の次元を超えた」、という事ではないか。 世の刷り込む価値観、 欲望、恐怖、 常識的人間(Normalcy)の虚像 …そのようなものを。 神と自分の関係性の中で、それらの制約をキャンセルしていく。 突き抜け、超えていくこと・・・。 しかも、その機会は平素の人生にいくらでもある。 日々の生活の中で、想いの中でできること…。 外面は不変でも、俺のあなたの内面で、 超新星爆発的な巨大な変化は起こり得る。 変わらない筈の人間が、まっさらに新生させられる。 と言うこと。… 主はこのことを通じて、俺に「人間の可能性」を示してくれた。 聖書の御言葉の端々にその真理を散りばめておいて、 そこまで辿り着いた者たちが理解できるように、計らって下さっていた。 ――――― <マザーテレサも> 「神様は私たちに、 成功してほしいなんて思っていません。 ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」 スポンサーサイト
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